工藤靖也さんの生き方

2006-08-29 vol.355

工藤靖也さんと話してみたらポジティブ大事って分かった

函館にお住まいの工藤靖也さんは、筋ジストロフィーという病気を抱えながら、webサイトで自分で描いた多くの作品を公開されています。どこか優しく繊細なタッチの絵を見て、「この人はどんな人なんだろう?」という思いがつのり、今回インタビューに応じていただけました。

工藤靖也さんと話してみたらポジティブ大事って分かった

そのホームページを“お気に入り”に追加したのは、今年の5月中旬頃だった。画面を開くと、人気アーティスト『スピッツ』のヒット曲である「ロビンソン」のサビの部分の歌詞とともに、「あおぞら気分」というホームページのタイトルが登場する。作者は市内上湯川町在住の工藤靖也(のぶや)さん。ホームページ内の自己紹介文は、次のような書き出しではじまる。
※以下、ホームページ内の工藤さんの文 章は青い文字で表記。取材中の工藤 さんのコメントは文頭大文字の明朝 体で表記。

工藤靖也さんとお姉さんと青山編集長

工藤さんと、お姉さんの相川静香さんと3人。工藤さんが開設しているホームページを見ながら、会話に花が咲く。

[僕は筋ジストロフィーという病気である。この病気は体中の筋肉が歳とともに萎縮するというもので、それは当然、呼吸をする筋肉や血液を送る心臓の筋肉にも影響を与え、最終的には死に至るという難病である。それでも僕は、自分が不幸だと思ったことは1度もない。それどころか自分でも信じられないほど、すばらしいと思える人生を送ることができたと自負している]

その頃、僕はストレスを抱えていた。何もかも思い通りにゆかぬ日々に憤りを感じていた。そんな荒んだ心に飛び込んできたのが、工藤さんの文章だった。勇気と元気をもらったような気がした。いつか機会があれば、お会いしてみたいと思った——。
函館にもようやく初夏の心地よい風が吹きはじめた6月下旬に、願いは叶った。工藤さんの実姉である相川静香さんに取材の段取りをしていただき、スタッフの花輪記者とともに上湯川町のご自宅へと向かった。

青山編集長にパソコンの画面を見せながら画像の製作工程を説明している工藤靖也さん

[八雲にいるころは僕もまだ歩くことが出来たし、本当に元気に走り回っていた。もちろん不自由に感じることもあったろうし、リハビリにも通わなければいけなかったけど、そんなことはひとつも気にならないくらい、毎日とことん遊び倒した自分がいる。(中略)決して自分だけの力じゃないけど障害を持つ僕があれだけやれたというのは、本当にすごいことだと思うし、僕はそんな毎日の中で自分は人に負けないと無意識に思うようになったと思う。つまり僕にとって八雲時代というのは、もうすぐ歩けなくなるということを見据えて、それでも病院に入院することなく、学校生活やリハビリをがんばり、そして体が元気なうちにと必死に遊んだ輝かしい数年間だった]

工藤さんがディシェンヌ型筋ジストロフィー症という難病であることが分かったのは、根室管内中標津町に住んでいた3歳の時。それをきっかけに工藤さんは家族とともに、道内唯一の筋ジス専門病院のある八雲町に移住し、小学校3年生までを同町で過ごした。小学校4年生になると歩行が困難になり、函館養護学校に転校するため同町を離れるのだが、工藤さんは八雲町で過ごした日々のことを克明に、ホームページに綴っている。

僕は昔から興味を持ったことには夢中になる性格なんですよ。八雲時代にも釣りに夢中になったり、とにかく楽しかったですね。函館に来てからは、英語を話せるようになろうと思って教室に通った。英語検定準1級に合格したんですよ。

現在、工藤さんはパソコンを所有し、イラストを描くソフトを使ってパソコン画を描き続けている。モチーフは動物、景色、人物など…。昨春からはじめたパソコン画の作品は、すでに60作にも達しているという。

この前、インターネットを通じて、似顔絵を描いてほしいという仕事の依頼を初めていただいたんですよ。いまは亡き大切な人の似顔絵を遺影として飾っておきたいという、ある方からの依頼でした。

ホームページにずらりと掲載された作品はどれも、驚くほどリアルで美しい。どうやって描いているのかと質問すると、工藤さんは僕の目の前で作業を見せてくれた。カーソルを動かすためのボールを顔の下に置き、下唇を巧みに操って、絵を仕上げてゆくのだ。

だんだん手が動かなくなってゆくうちに、まだどこか動く場所はないかな…と考えていたら、口が動くと思った。それで、この方法で絵を描きはじめるようになりました。パソコンを使っているうちに、文字を早く書く方法も発見しました。それが八雲時代のことを書くきっかけになりましたね。

工藤靖也が描いた各種画像

工藤靖也さんが描いた数々の作品の中から…

[花火が開くたびに、空が一瞬明るくなって暗闇の中に観客の顔が浮かび上がる感じを、浮かんで消える骸骨って言ってるんだと思うんだよね。面白いでしょ。あえて花火って言わないところが、スピッツのすごさだよね。何度聞いてもこのフレーズで、僕は顔がにやけてしまうのでした。ふふっ]

得意なパソコン画のほかにも、工藤さんはブログの中で色々な文章を書いている。大好きな『スピッツ』の話…、スポーツの話…、日常のちょっとしたエピソード…。「あおぞら気分」を見た全国の人達からのメッセージも多数、寄せられている。

靖也は“のぶや”とは読めないですよね。でも、靖という字には青という字が入っていて、“あおぞら”を思わせる名前なのが気に入っています。青が好き、空が好きという気持ちをこめて、絵のサインには“SoRa”と書いています。

現在、工藤さんは24時間人工呼吸器を使っている。外出は不可能ではないというが、困難ではあると思う。それでも工藤さんがいつも“あおぞら気分”でいられるのは、彼独特の“ある思考”によるものなのではないかと、彼との会話を進めてゆくうちに、僕は気づきはじめた…。

工藤さんのお姉さんである相川静香さんのことも少し紹介しておきたいと思う。相川さんは八雲町在住時代には卓球の名選手だったという。そんな姉の姿を見て育った工藤さんは、彼女のことを“パワフル姉ちゃん”と呼び、慕ってきた。今回の取材も、相川さんがうまく段取りをして下さったおかげで実現に至った。

「弟が素晴らしいと思えるのは、いつも“自分はツイている”と話すことなんです」

相川さんは弟さんについて、そんなふうに話す。

工藤靖也さんが描いた夕方の海

[さいわい八雲小学校には1年前にやはり僕と同じ病気だったO君が入学していたので、おそらくそのことも手伝って僕は晴れて八雲小学校に入学することができたのだ。僕のつきまくりの人生は、このあたりにもハッキリと現れている。もちろん親の愛情と努力がもたらした結果であることに間違いはない]

[八雲小学校に入ったことは、本当に僕の八雲時代を決めてしまったといっていい。八雲養護学校に入っていれば、当然入院することになったわけだし、そうなればこれから書くような僕の八雲生活は、ひとつもなかったことになってしまう。もちろん別の人生もあるのだろうが、例えその人生が、かなりいい線いったとしても、絶対に僕の八雲時代を越えることはないと思うのだ。僕の力ではないけど、それだけの出来事が八雲にはあって、それがいまでも僕の生きる力になっている]

ホームページに綴られた文章の節々にも、お姉さんが言う、“自分はツイている”と常に考える工藤さん独特の思考を垣間見ることができる。
いわゆる「プラス思考」とか「ポジティブ・シンキング」とかいうものなのだろうか…。そのたぐいの話は最近特によく耳にするが、正直、工藤さんのホームページに出会う前は、あまり関心がなかった。

工藤靖也さんが描いた海

[僕が八雲であれほど遊ぶことが出来たのは、とにもかくにも親のおかげである。姉にしてもそうだが、うちの親は僕たちを積極的にいろんなところに連れ出し、何でもやらせてくれた。危険なこともいっぱいあったけど、本当に何があっても、遊びたい僕の気持ちを両親が制限することはなかったと思う。実際、僕は何でもやってみたし、やってみた結果としてできない事もあったかも知れないが、自分でやってみた結果だから、それでも納得がいったと思うのだ。もちろん大概のことはそれなりにできたと思うし、そういう小さな積み重ねがあって僕も無意識に自信を深めることができたんだと思う]

僕の父親は、とにかく思い立ったらやってみるという人なんですよ。僕も父に似たのかも知れません。例えば、知的に障害がないということで条件を満たしていなかった養護学校の高等部にも受験して合格することができたなど、父のおかげで、無理そうなことでも、とにかくやってみるということでクリアできてこれたんだと思います。

いつも「自分はツイている」と口にする人の心の深層心理の中には、周囲の人や環境に感謝する気持ちがあるのだと、以前何かの本で読んだことがある。逆に、いつも「自分はツイてない」と言う人は自分に起きた出来事をいつも周囲の人や環境のせいにしてしまうような…。
僕の場合はどちらかといえば後者に近い。もし、自分が工藤さんのような立場になったら、きっと最後には神様までもを恨んでしまうに違いない。しかし、周囲に感謝する気持ちがあれば、自身にどんな運命が待ち受けようと“あおぞら気分”で全てを受け入れることができるのかも知れない。わずかな時間だが、工藤さんという人物と出会い、実際に会話を重ねるうち、そんなことを感じていた。

工藤靖也さんが描いた手に乗った小鳥

[さて、明日はいよいよ青いぽすとの取材です。一体全体、何を聞かれるのかなあ。案外、絵の話じゃなかったりして。そこは勝手な早とちりだったら恥ずかしいよね。ふふっ。まあすべては明日になれば分かるでしょう。がんばりまーす。(中略)それでは、明日は、朝にまずビデオでサッカーを見て、リラックスしたあとで取材を受けちゃいますよん]

取材日の前日に工藤さんが記したブログの内容である。取材日は、サッカーのワールドカップで日本がブラジルに敗退した日。日本中のサッカーファンが肩を落とし、そして日本中のサッカーファンが寝不足の長い1日を過ごした日である。

「青いぽすとに出て、もし似顔絵の仕事の依頼がたくさん来ちゃったらどうするのよ? 描き切れないんじゃない?」

お姉さんが、そう言った。

順番にやればいいでしょう。

この工藤さんの短い言葉に、思わずジーンときたというのが、一緒に取材をした本紙・花輪志保里記者。
人生、無理に先を急ぐ必要などない…、何かにせかされて生きる必要も…。

笑顔の工藤靖也さん

[函館に来て常に思うことは、やはり八雲の自分に負けないようにということだったし、ときどき思い浮かべる八雲時代はいつも光り輝いていた。そして、そうやってやってきた結果として、いまの僕がいるわけだし、函館でもがんばって、たくさんの出会いや、面白い出来事を数多く経験することが出来た。だからこそ、僕がいましあわせだと思えば思うほど、僕の中で八雲がどんどん大きくなっていくのだ。そして、それはもちろん親やみんなのおかげであると思うのだから、そこにはもう感謝しか出てこないだろう。本当にどうもありがとう。みんなのおかげで僕はいまでも元気にしあわせにやっています。そして、父さん、母さん、ありがとう。姉ちゃんにも感謝してるよ。僕はこの家に生まれて本当によかった]

昨年、工藤さんは10年ぶりに野外劇を鑑賞したのだという。野外劇を観て感動し、「函館って良い街だな」と思ったという。
インターネットという手段を通じて、工藤さんと交流を深める人は全国に存在する。しかし、工藤さんが生活し、大好きだという、ここ函館の人達にももっと、工藤さんのことや、彼の描く絵、ホームページのことを知ってほしいという思いで、今回の取材企画へと至った。この記事を読んだ少しでも多くの人が、「あおぞら気分」に立ち寄ってくれたらとても嬉しい。

[いまの僕は、体の状態もあのころとは違うし、人間としてスケールもかなり小さくなってしまったと思うのだが、八雲時代の自分に少しでも近づけるように、もちろん悔いを残さないためにも残りの人生を全力で生きていきたいと思っている]

見て下さい。いまはパソコンの中にテレビのリモコンをセットすることもできる。探せばあるんですね。こういうもの…。おかげでいまは、人に頼らずにテレビを観ることができる。僕はいつもこうやって、体が動かなくても使える道具なんかをパソコンで探したりしているんですよ。自分にできないことを気にするよりも、自分にできることを一生懸命やればいい。何せ僕は、退屈することが1番嫌なんですよ。

幼い頃、僕は母親から「体が不自由な人を見かけたら親切にしてあげないさい」と言われて育った。
歩道の段差がところどころ低くなっているのも、信号が青になれば音楽が流れるのも、体が不自由な人を、そうでない人が手助けしてあげているのものだと、ずっと思ってきた。
この日、僕は工藤さんから、生きてゆく上でとても大事なことを幾つも教えてもらった。でも、僕は工藤さんのために何もしてあげられない。結局、人はみな同じ…。低くなった歩道も信号の音楽も、いろんな人達がこの社会の中で、仲良く楽しく暮らしてゆけるためにあるだけなのだ。

[なかなか上手に話せなかったかもしれませんが、あんな感じでよかったのでしょうか?]

取材日の夕方、編集室のパソコンに、工藤さんから早々とメールが届いた。
僕は相変わらず何かにせかされるようにチャッチャと原稿を書きはじめ、夜遅くまでかかって記事をまとめ上げた——。

取材から2〜3日経ったある日の会社からの帰り道、レンタル店で借りた『スピッツ』のCDをクルマの中で聴いた。カーオーディオから、「きっと今は自由に、空も飛べるはず…」と歌う、『スピッツ』のヴォーカルの澄み切った歌声が流れてきた。

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