30代の本音

2001-12-25 vol.243

30代を過ごし仕事やプライベートで感じた本音とは

昭和40年前後生まれの30代がいったい何を思って生きているのか。仕事や趣味、生活、小さい頃とこれからの夢など、同世代トークのために、函館の各分野で活躍している男女に集まってもらい、座談会を開催してみました。

30代を過ごし仕事やプライベートで感じた本音とは

読者の皆様、こんにちは。いつもご愛読ありがとうございます。『青いぼすと」で編集の仕事をしている青山慎司と申します。僕は、東京オリンピックの次の年の昭和40年に、ここ函館市で生まれた36歳です。僕達の世代は、髪を伸ばしてフォークギターを爪弾く人生の先輩の背中を見て育ち、携帯電話のメールの中で愛情や友情を深めあう若者達に背中を押されながら日々を生きています。それぞれの世代にはそれぞれの価値観や人生観があり、そうしたジェネレーションギャップが微妙なバランスを保って、社会を形成しています。そんな中、この街で自分と同じ世代の人はどのような価値観を持って日々を生きているのか…。職場の同僚や友達の枠を越え、僕とは全く違う世界で頑張っている人達と、仕事や趣味、小さい頃からの夢などについて大いに語り合ってみたいと思い、この企画を提案しました。最終的に何か結論を出したいとは考えておりません。ただ、この街に住む30代の男女が、日頃この街で暮らしながらどのような事を考えて生きているのかを、このレポートを読んだ皆様に少しでも解っていただければいいと思っております。

函館生まれ、函館育ちの30代、本音を語る。

仕事

*僕達男にとって勝負の世界に身を置く仕事は永遠の憧れ。でも、今の歳になって思うのは、そういう仕事を継続するのって、ハンパじゃないっていう事ですが…。

穴田「勝ち続けないとお金も手に入らないし、そのために日頃からトレーニングしなきゃならないのが僕達の仕事。レースは自転車競争といっても格闘技みたいなものですし、いつも死と隣り合わせの部分もある。実績を残せない選手はある日突然クビになってしまう。他人から憧れられる事もありますが、実際には自分にとっては走ることが全てで、ほかにはなにもないから続けているというのが現実ですね」

*えつ、勝てないとクビになってしまうんだ。僕はてっきり、引退は自分自身が全て決めるものだと思ってましたよ。

穴田「若いうちからクビ宣告を受ける奴だって何人もいる。そういう世界だからこそ、日常のトレーニングが欠かせないのですよ」

*トレーニングって、やっぱりしんどいですか?

穴田「若いうちは体力で闘う時もあったけど、30歳過ぎたらそれじゃ、通用しない。実際しんどいですよ。特に、練習しろって、誰かから言われることがなく、あくまで自分の意志でやる練習だから、持続する事も大変」

*へえ~、誰かコーチみたいな人がいて、お前やれよって言われてやってるワケじゃないんだ。

穴田「そうです。トレーニングしてても遊んでても誰にも文句は言われない。でも、レースで勝たなきゃ生活できないからトレーニングする。そういう点がプロならではの厳しさなのかも知れない」

*ネイルとかネイリストって比較的新しい世界ですよね。そういう事にチャレンジして、しかも経営者になるって、すごく勇気が必要だったのではないですか。

小澤「今思えば、よくここまでやったな…って感じです。経営という事に関しては最後の最後まで迷った事ですが、ネイルの仕事自体にはとても興味がありました。函館ではネイルの技術を持っていても使ってくれる所はありませんから、思い切ってサロンを開いたという経緯です」

*最近はすっかりネイルアート人気も定着しましたね。

小澤「でも、私達の技術を活かす世界は、本当はお酒落だけではないのです。例えば野球の選手は爪の状態が少し違うだけでも、投げるボールに大きな影響が出るそうで、そういう人達のための爪をリペアするような仕事も、本来は私達の仕事の分野のひとつなのです」

*そういう意味ではネイリストの草分けとして、ご自身の仕事の世界を函館に広めてゆく役目があるのかも知れませんね。

小澤「大都市に比べ、函館でこういう事を広めてゆくには時間がかかると思いますが、どんどん広まっていったらいいと思います」

*一般人のレベルで言うと、家って一生に1度の大きな買い物でその人の夢であり宝物でもあると思う。そういうものを売る仕事って、プレッシャーも多いのでは?

大村「特にプレッシャーというものはないけれど、輸入住宅を建てたいというような人はお酒落で、家に求めるものも色々。そういう意味では僕達も日々勉強しなければならず、そういう事がプレッシャーといえばプレッシャーですね」

*今の人って、どんな家を求めているのかな?

大村「人によってさまざまですけど、まあ、僕の意見としては、押し付けではないけれど、住む人が帰ってきたくなるような家が、よい家だと思います。例えば子供が家に帰ってこないと心配する親がいますが、だったら子供にとって居心地のよい家を造ればいい。たまり場って言うと言葉は悪いかも知れないけど、子供のたまり場になるくらいの家だったら、子供が外で何してるか心配するよりはまだいい…みたいな」

*人の数だけ求めるものの数も色々。お客さんの要望に応える事って難しくないですか。

大村「全て自分の家なんだと考えれば意外に難しくありません。自分が住みたくなるような家を提供する気持ちが最も大事」

*輸入って事は、外国の家って事ですよね。国産の家とはだいぶ違うものなんですか。

大村「主にアメリカの家なんですけど、それが全ていいわけじゃない。住むのは日本人だから、日本人向けに合わせることも当然必要ですし、例えば和室があったほうがいいという要望があればそれに応えるし。ウチに来る人はよく勉強してますよ、本当。でもそういう人が、我々に頼んでよかったと言ってくれるのが嫡しいですね」

子供の頃は?

子供の頃の夢に関するインタビューを受けてる人達

*子供の頃って、何になりたかったですか。

穴田「やっばり野球選手かな。でも、函館に住んでる僕達には遠い存在でした。だから、父の影響もあって競輪学校に行った」

小澤「お嫁さん…。すみません、特に具体的に思ってた事ってなかったんですよ。でも、締麗な洋服着て、締麗な髪型でいつもいられるような大になりたいとは思っていた。そういう意味では、今の仕事につながっているのかも…」

大村「親から教師になれって言われてたので、教師になろうと思った。でも、小中学校の時に先生を見て、僕には合わないかなって思った。そういえば競輪選手になればって言われた時もあった。でも親に、お前は足が短いから無理だなとか、わけわかんない事言われたりして(笑)」

穴田「足の長さはあんまり関係ないと思うけど…」

人生の転機…

人生の転機について語る穴田裕哉さん

*僕達の時代って、平和で自由で、ある意味退屈な時が多かったのかも知れない。そんな中で、自分の体にビビッと電気が走るような、人生の転機ってありました。

穴田「特にないけれど、競輪学校って山の中にあって生活も厳しくて。18~19歳の頃かな…、同じ歳の奴が遊んでいる時期に、競輪選手になるという思いのために1年間、遊ばずに厳しい生活を乗り越えた。そのあたりが転機といえば転機なのかな」

小澤「私、アンアンって雑誌を初めて見た時かな。今まで見たこともない色とかファッションとかデザインとか…。当時って、今ほど情報ツールがたくさんなかったから、アンアンみたいな雑誌が与えてくれたものって、すごく自分のためになりました」

大村「なんかみんなすごくって…。それに比べたら、僕にはそういう転機って、なかったかも:…」

*でも、大村さんの場合は、サラリーマンから独立した事が転機だったのでは?

大村「独立した時、不安や恐さはありましたね。でも、いざ独立しちゃうと、海に飛び込んだ時のように泳ぎ続けるしかない。やるしかない、みたいな」

ヒー口ー

*自分にとってのヒーローって誰ですか。

穴田「アントニオ猪木。アホみたいなこといっぱいやってるけど、それをカッコイイという人がたくさんいる。あと、若い時、人生に色々不安もある時期、有言実行精神の矢沢永吉がヒーローだった」

小澤「ピンクレディ。あんなに可愛い人達見たことないって思いました。誰が早くフリを覚えるかなんて、よく競ってましたね」

大村「いっぱいいるけど、穴田さんが言った矢沢永吉もいいな。っていうかキャロルですよね。あと、ちょっと恥ずかしいけど横浜銀蝿。市民会館のライブで手を挙げて相談しようかと思ったけど、あれはできなかったな、さすがに(笑)」

男と女

大村「でも穴田さんのような世界って、僕達からみたらカッコイイよね。なんか住む世界が違うっていうか、1本芯が通っているっていうか」

*まさに男だけの世界って感じですよね。

穴田「でも以前、女性の競輪もあったんですよ。男以上に激しいバトルだったって話ですよ」

*小澤さん、経済的にすごく安定した男と、穴田さんのように勝負の世界に生きる人って、人生を共にするならどっちがいいですか。

小澤「私ぐらいの年齢になると、安定とかも大事。でも、やっぱり女からみて、勝負の世界で命かけてる人ってカッコイイって思いますよ」

趣味

*皆さんの趣味、教えて下さ

穴田「草野球かな。選手でチームを作ってます。最初は遊び半分で作ったつもりでも、やっぱり勝負事だからマジになっちゃうのが競輪選手ですね。例えばみんなでゲームみたい事はじめて、負けたらジュース1本…みたいな場面でも、やってるうちにマジになって喧嘩になりそうな事もある」

*え~っ。ベンツとか乗ってる人達が、ジュース1本でマジになっちゃうんだ。

穴田「だから負けず嫌いなんでしょうね。仕事でも、趣味でも」

小澤「私、今は特に趣味がないんですけど、写真をやりたいとは思っています。日常生活の中でみつけた素敵な風景を写真に納めたいです」

大村「趣味って、僕にとってはいつも変わるし、色々あるし、興味持つものも色々変わる。今だったら映画とか色々観たいって気持ちあるし、向いてないって言われるけどゴルフもやる。あと、教えてくれる人とかいれば釣りなんかにも熱中したい」

挑戦

30代からの挑戦について語る大村浩之さん

*何か新しい事に挑戦するのに年齢は関係ないって、よく言う。でも30代になって何かをはじめようと思った時”もう少し若かったらな~”、なんて感じてしまう事もあるのが本音。30代の挑戦について聞かせて下さい。

穴田「ずっと今の仕事していければいいけど、そういうわけにもいかないから、今のうちから何かはじめようかなっていう気持ちもないわけではないけど、今は考えてないかな。むしろ今は、目の前のレースひとつひとつがいつも新しい挑戦。刺激はそこにあるような気がする」

小澤「私はネイルの世界に入ったのが30代。20代の頃って、30歳を過ぎたら新しい事はじめるなんて無理じゃないって思ったり、特に女性の場合は、30歳を過ぎたらオンナとしての自分が終わっちゃうのかなとか思ってた。でも、30代になってみると、20代にはなかった面白さが出てきているので、きっと40代もそういうふうに過ごしてゆくのかな…って思えるようになる」

大村「僕は建築の世界から独立したんで、それが挑戦といえば挑戦。きっとこれから色々挑戦したい事が出てくると思うんで、それが楽しみですね」

30代

*例えば子供の頃って、30歳ってすごく大人だと思ってたけど、いざ自分がなってみると、意外に幼稚な事したりバカみたい事してて、30代ってこんなもん?って感じたりもする。そういう事って皆さんにもありません?

穴田「でも体力的にはキツイ時期に入っている。僕達プロスポーツ選手じゃなくてもそうじゃないですか。例えば歩いてて車道から歩道に入る時、今までは軽くガードレールとか飛び越えてたのに、普通に遠回りするようになるとか…」

大村「言われてみれば体力的にはそういう事って、あるよね。確かに…」

小澤「30代になってみると、トシをとる事って、昔考えてた時より恐いものでもないかなって感じられるようになりましたね」

将来の夢について語る小澤貴代美さん

*月並みですが、夢って何ですか。

穴田「夢…。寝てから見ろ、なんて言われてきたからな。でも、目標は少しでも長く選手を続けられることかな。稀ですけど50代でも現役を続けてる選手もいる。つらい事も多いから、やめたいって気持ちも少しあるけど、ほかにやれる事もないし、自転車で走ることが人生で一番長くやってきた事なんで。でも、競輪選手はレースで勝たないとクビになってしまう事がある。また、落車とかで死ぬ事だってあるんで、ホント死と隣り合わせで生きてる感じですよね。選手の中にもいますよ。走るだけなら凄い奴でも、落ちる事を恐れてレースになると勝てない奴とか。実力だけじゃ勝てないっていう点が、プロとアマの大きな違いだと僕は思うし、僕は少しでも長くプロであり続けたいですね」

小澤「夢は天から舞い降りてきてくれるものじゃないと思うし、実際仕事をしていれば幸い事のほうが楽しい事よりずっと多い。私達の仕事に憧れる若い女のコも多いけれど、本当、華やかにみえる部分ばかり見てる人も多い。技術指導の分野に出てみればって話があるんですけど、もし機会があれば、この世界に興味のある人達に、ネイルの仕事についてしっかり伝えてゆきたいですね」

大村「街を作りたい。せっかくの素敵な街並みに変な家が建っていると、僕ならあんな家は建てないとか思ってしまう。街の景観を作る要素には必ず、家ってものがあると思うから、素敵な家をたくさん建てて素敵な街並みを作りたい。だからこそ、函館という場所を離れるつもりはないし、全く同じ家を2つと売りたくはないと常々思っています」

インタビューを受ける3人

生活をかけて、死と隣り合わせになって闘う人がいるから、それを観て楽しむ人達は心から興奮し、熱狂することができるのかも知れない…。美しいものに憧れ、それを学び、この街でそれを伝えてゆこうと頑張る人がいるから、この街に住む女性はお酒落を楽しみ、それを人生の中のささやかな喜びにすることができるのかも知れない…。素敵な家を建てる事に真撃に取り組み、それをこの街の人達に提供する人がいるから、この街の街並みは美しくてあたたかいものになるのかも知れない…。「街作り」とか「活性化」という言葉をキーワードに、未来への大きな夢が語られている函館という街。

それは決して特別なプロジェクトに取り組む人達に任せる事が全てでもなければ、投資によって建物や設備を拡充する事が全てでもない。この街で暮らす普通の人達が、自分の目の前にある物事ひとつひとつに真摯に取り組み、自分の喜びや楽しみのために頑張る事が、私達が望む暮らしたい街作りのための血となり肉となってゆくのではないだろうか。今回、仕事も人生観も違う同世代の函館生まれ函館育ちの人達と語り合う事で、地域情報紙というカテゴリーに生きる私達が伝えてゆかねばならないものも少しだけみえてきたような気がした。忙しい中、取材にご協力いただいた3人と、色々気を遣っていただいたレストラン・ブランヴェールのスタッフ、アシストしてくれた本紙の大場記者に感謝します。

今回インタビューにお答えいただいた皆さんと青いぽすと記者

大村浩之(おおむらひろゆき)さん

大村浩之さん

33歳。昭和43年函館生。函館市内の高校を卒業後、金融関係、不動産関係、建築関係の会社にそれぞれ勤務後、輸入住宅販売会社『(株)フロンティアホーム』を設立。現在同社の代表取締役。趣味は幅広いが、あえて挙げるならば映画鑑賞とのこと。少年時代の夢は教師。自分にとってのヒーローも実にたくさんという、何にでも興味、関心を持つ好奇心旺盛な人物。

小澤貴代美(こざわきよみ)さん

小澤貴代美さん

37歳。昭和39年函館生。美容学校を卒業した後、NSJネイルアカデミースクールへ進み卒業。平成12年に『ネイルサロン・アフロート』をオープン。趣味で写真撮影をはじめたいというのが目下の夢。少女時代の夢はお嫁さん。自分にとってのヒーローはピンクレディ。「ネイルの事、もっとたくさんの人に知ってほしい」という、函館におけるネイリストの草分け的存在。

穴田裕哉(あなだひろちか)さん

穴田裕哉さん

34歳。昭和42年函館生。札幌の高校を卒業後、競輪学校に進み、20歳でプ口競輪選手としてデビュー。趣味は草野球、温泉、マッサージのほか、食べ歩きが大好きというー面も。少年時代はプロ野球選手に憧れていたが、競輪選手だった父親の背中を見て育ったこともあり、競輪選手を目指した。自分にとってのヒーローは矢沢永吉、松田優作、アント二オ猪木。

青山慎司(あおやましんじ)

青山慎司さん

36歲。昭和40年函館生。函館市內の高校を卒業後、テレビ番組制作会社、新聞社勤務等を経て、函館どつく株式会社青いぼすと編集室に入社。現在、同編集室副編集長。趣味はジェットスキー、野球、サッカー。少年時代の夢はプロ野球選手。自分にとってのヒーローは番場蛮(侍ジャイアンツ)。