新社会人の心構え

2004-03-30 vol.297

新社会人・夢がある人へ!モチベーションを保ち努力し続けた経験者の声

慣れない新しい仕事、やりたい仕事のために努力をしている人へ、今函館で活躍している社会人の先輩に、どのような気持ち、心構えで努力してきたのか、働いてきたのかを「青いぽすと」編集長が聞いてみました。

新社会人・夢がある人へ!モチベーションを保ち努力し続けた経験者の声

そこに行き着けない自分がいた時、 自分に言い訳を作ったり、正当化したりする。

澤田 愛一郎

アメリカ暮らしよりむしろ、渡米のための資金を 貯えていた18歳くらいの頃の方が、貴重な時間でした。

神崎 光枝

観光客で行くのと生活してみるのでは、 その街に対する印象は全然違うわけですし…。

斉藤 利仁

青いぽすと編集長青山慎司

東京のテレビ番組編集プロダクション(株)麻布プラザの編集アシスタントなどを経て、現在に至る。子供の頃の夢はプロ野球選手。趣味はジェットスキー、サッカー。
青山 慎司(38歳)
青いぽすと編集室副編集長

□その場所を選んだ理由□

青山「澤田さんと斉藤さんは東京を、神崎さんはアメリカを夢の実現の場所として選んだわけですが、そこを選んだ理由について簡単に教えていただけますか?」
澤田「もともと映画が好きで、メイクという仕事を通じて映画の世界と関わりたいと思っていました。最初は札幌の専門学校へ行ったのですが、本格的に学ぶためには東京の店で仕事をした方がいいと勧められ、単身上京したわけです」
青山「実際に東京に感じたものは?」
澤田「美容のことだけでなく、あらゆるものに衝撃を感じましたね」
青山「神崎さん、渡米経験というのは、単純に凄いことだなって思うのですが…」
神崎「例えば美容師さんの世界は国家資格というものがあるけれど、それ以外の部分では私達の業界の資格というのは微妙な点があるのです。それならば私は国際ライセンスを取得しようと思いました。それがアメリカのアトランタだったわけです。英語が堪能なら、本当はロサンゼルスに行きたかったのですけど」
青山「やっぱりアメリカが最高なのですか?」

株式会社ポール沢田美容室澤田愛一郎さん

東京都にて美容を学び、帰函後、(株)ポール沢田美容室に入社。現在に至る。子供の頃の夢はプロレスラーで、テストを受けに行った経験もあるのだとか。趣味は映画鑑賞。
澤田 愛一郎さん(27歳)
『株式会社ポール沢田美容室』スタッフ

神崎「最高というより原点ですね。例えばネイルは、アメリカが原点で日本に入ってきたもの。実際にはネイルアートでは日本の方が凄いとも感じた。それに気づいて帰る人もたくさんいるのですが、私はむしろアメリカで、昔から変わらない技術が生活の一部として溶け込んでいることを学びました。原点を知ることの大切さということかな…」
青山「証券会社と聞くと、ひと握りのお金持ちの人達を相手にした、例えば僕なんかには無縁の、とんでもない大金が行き交う世界なのかなっていうイメージを受けるのですが…」
斉藤「私が入社した頃は日本がバブル絶頂の頃。その後は下り坂を転げ落ちるような時代を経験しました」
青山「いずれホテルを継がなければならないという意識はあったと思いますが、それを見据えた上で、証券会社でお金の事を学ぼうと思ったのですか?」
斉藤「う〜ん、正直いうと、その頃は何も考えなかったかな…。むしろ、証券の世界で何かをやり遂げようという意思の方が強かったかも知れないですね」
青山「実際にはどんな世界だったのですか?」
斉藤「数百億のお金を扱う世界ですし、例えば新聞なんかに自分のコメントが載ると、それによって世の中の流れが変わってしまうみたいな世界でしたね。それとあとは、世の中にはとんでもない金持ちがいるんだな、と驚くこともあったりして(笑)」

ニューオーテ斉藤株式会社斉藤利仁さん

東京証券(株)に入社後、東京投信(株)に出向し株式ファンドマネージャーとして株式の運用を担当。その後帰函し、現在に至る。子供の頃の夢はプロ野球選手。趣味は野球、釣り。
斉藤 利仁さん(38歳)
『ニューオーテ斉藤株式会社』専務取締役

□夢と現実□

青山「憧れの地に行って、夢と現実のギャップは?」
澤田「自分が憧れるカッコいい何かがあったとして、そこに行き着けない自分もいたりする。多分そんな時、自分に言い訳を作ったり、自分を正当化しちゃったりする。経済的にも厳しくて、体重も50キロを切ったりして。食欲には執着がなくなりましたね」
神崎「まず英語ができなくて(笑)。それと、住んでいた場所のあたりがとにかく治安が悪くて。貧乏だったのはもちろんですが、それ以前に、命の心配が先…みたいな感じでした」

ヴィサージュ代表神崎光枝さん

札幌のエステ専門学校卒業後、函館でエステとネイルを展開。国際ライセンス取得のため渡米し、帰函後、ヴィサージュを開業。子供の頃の夢は美容師。趣味はスノーボード、ゴルフ。
神崎 光枝さん(28歳)
エステティック&ネイルサロン『ヴィサージュ』代表

斉藤「大きな金額を扱うので、お客さんに損をさせた時には当然、かなり責められる。そんな時は相当落ち込みましたね。家に帰る道を間違えるくらい。あとは、会社の方針と、お客さんのためにすることのギャップに悩んだりしたこともありましたね」
青山「僕もサラリーマンなので、それはよく分かる気がする。純粋にスポンサーや読者のためにいいモノを作りたいと思っても、組織の一員である以上は、組織のスタイルに合わせてゆかねければならないことがある」
神崎「う〜ん。今の私は、目の前のお客さんに喜んでもらえることしか、いつも考えていないから…」
斉藤「余談ですが、ドラマの『白い巨塔』みたいなことが企業の中でも実際にあるということを、東京時代に知りましたよ」

自分というものを貫き通すことの方が重要。

3年後の自分はこうなっているだろう…と決めちゃうこと。

大切なのは目的意識

□そして、この街に戻って□

青山「故郷を離れて頑張っていた頃の経験がいま、この函館での暮らしでどんなふうに役立っているのですか?」

株式会社ポール沢田美容室澤田愛一郎さん

澤田「東京での経験は、技術的なことはもちろん、いろいろな人に出会ったということがプラスになっているような気がします。過去は美化されるものだと思いますから、実際には東京での暮らしは大変だったのだけれど、行かなかったよりは、行ってよかったと感じています」
神崎「アメリカには結局1年半くらいいたのですけれど、函館でお客さんが待ってくれているような状況の中、故郷に戻って開業しました。この街ではいいお客さんとたくさん巡り会うことができたので、この街からいろいろなことを発信してゆければいいかなと思っています。私は国際ライセンスを持っているので、どこの国でもいまの仕事ができるのですが、大切なのはどこで仕事をしているかではなくて、成功することだと思うのです」
青山「アメリカ暮らしは、いい経験でしたか?」
神崎「はい。アメリカに行ったからこそ、いまの自分があるのだと感じています。渡米する前は、毎日がただ淡々と過ぎてゆくような気がして、それこそ浦島太郎のような状態だったのかも知れません。でも、アメリカに行った経験があったからこそ、函館にいても何かができるのだ…と思えるようになったのだと感じています」
青山「僕はコマーシャル業界にいるからそう思うのかも知れませんが、渡米経験を売り物にすれば、凄いPRになると思う。でも、神崎さんはそれをあまり表向きに出していませんよね」

ヴィサージュ代表神崎光枝さん

神崎「よく、人からも言われます。でも、渡米経験は自分の中ではほんの一部のことでしかない。むしろ、渡米するための資金を貯えていた18歳くらいの頃の方が、夢を掴むための壁を乗り越えるという貴重な時間でした。皆さんが言ってくれる限りは嬉しいのですが、アメリカだけがどうというわけではないと思いますね。いまでも英会話の方は、全然ダメですし(笑)」
青山「斉藤さんは証券会社で学んだことを、家業であるホテル事業に、どのように役立てていますか?」
斉藤「証券会社に勤めていたことで、様々な職種の様々な企業を見ることができた。ですから現在も、物事を広く、客観的に見ることができるようになったと思っています。我々の業界は、例えば大手チェーンの進出など状況は日々変化するわけですが、そんな中、世の中の動きを冷静に判断することは不可欠なことで、そういう点から考えれば、東京時代にいい経験をしたと思っています」
青山「斉藤さんの現在のお仕事は、函館の観光産業の今後という点でも、非常に重要なポジションであるように思える。そういう意味では、違う土地で暮らした経験というのはとても大切なことなのではありませんか?」
斉藤「まあ、簡単にいってしまえば、函館には閉鎖的な部分があるのかも知れないと感じます。例えば商売のことひとつにしても、モノの善し悪しよりも、つきあいを優先したりとか…」
青山「そういう意味から考えれば、いまの函館に必要なのは、どこかで何かをやり遂げた人の知識や技術だけでなく、どこかで何かを目指して生活していた人の経験ではないかと思うのですが?」
斉藤「確かにその通りで、その街のことしか知らなければ、その街の善し悪しも判断できないと思うのですね。ほかの土地で暮らしてみて初めて、この街のいい所、悪い所が見えてくる場合もあると思いますよ。どこの街でもそうですが、観光客で行くのと生活してみるのでは、その街に対する印象は全然違うわけですし…」

□いまの自分って?□

青山「澤田さん。夢や憧れを持って上京した頃と、いまの自分を比べてみて、どうですか?」
澤田「昔といまの自分にギャップはありませんが、いまの自分には迷いがあるのかもしれない」
青山「具体的には?」
澤田「現在はたまたま、父の会社で仕事をしているのですが、事業を継ぐとか、そういうことが大事ではないんですよ。自分というものを貫き通すことの方が重要。その答えが事業を継ぐということならいいのだけれど…」
青山「でも実際には“お父さんは経営者でしょう”みたいな言われ方もするでしょう」
澤田「そうですね。でも、そういう声は気にしないようにしています。むしろ、そういうふうに言われた時こそ、もっと頑張ろうと自分を奮い立たせるようにしていますね」

□夢を目指す人達に向けて□

青山「いつの時代も、函館から巣立って何かをしようとする若者は多いと思うけれど、そんな人達に何かをアドバイスするとしたら?」
澤田「僕がそうだったので、やりたいと思ったことは全部やってみたほうがいい。まずは、やりたいことを明確にすること。お金のこととか、生活のこととか、大変なことも多いけれど、そういうことを理由に諦めない方がいいと思います」
青山「神崎さんのような仕事って、最近は若い女性の憧れですよね。コマーシャルにもあるでしょう。“もともと販売員でした♪〜いまでは趣味が仕事です”みたいな…」
神崎「いろんな相談、受けますよ、実際に。大切なのは、やりたいという思いを心に溜めること。簡単に口に出してしまうのではなくて…。18歳ぐらいでやりたいことが本当にやれるかどうかなんて、ほとんどの人が分からないものだと思います。だからまずは、やりたいという思いを心に溜めて、十分に準備してから1歩踏み出すことが大事なのです」
青山「思いを心に溜めるということは、やりたい気持ちを確認する時間だと?」
神崎「そう。その時に大切なことは、いつかこうなりたい…という思いではなく、例えば3年後の自分はこうなっているだろう…と決めちゃうことなのです。そこから方法を考える。そうでなければ、夢はいつまでも、憧れだけで終わってしまう」

ニューオーテ斉藤株式会社斉藤利仁さん

斉藤「函館を離れて何をしようかと迷ったり不安を感じている人がいれば、そんな不安を感じることはないと言いたいですね。函館で何かができる人はどこに行っても何かができる。大切なのは目的意識。私が東京を選んだ時は“何になりたい”というものは全然ありませんでした。あったのは“世の中で通用する人間になろう”という思いだけ。それが私の目的意識であり、東京を選んだ理由です。そして例えば会社に就職したら、そこで新しい目的意識というものが生まれるものです」

□自身の夢、目標は?□

青山「最後にみなさんの夢とか、目標みたいなものを語っていただきたいのですが…」
澤田「執着しすぎないことですかね。1番大事なのは自分が成長すること。人から何かを聞いても結局、自分が成長できていなければ、そこから何を参考にすればいいかも明確にならないんですよ」
神崎「広げてゆきたいというよりは、極めたいという思い。例えばチェーン展開を夢見るよりは、技術的なものを極めるとか…」
斉藤「自分の会社を守ってゆくという大前提の中で、どれだけ地域に貢献してゆけるか…そんなことが夢というか、理想というか。具体的に言えば、人がたくさん集まる街作り…、住んでいる人が誇れるような街作り…。そんなところかなぁ…。あと、余談になりますが、母校の函館中部高校野球部が甲子園に出場するのが、野球部OBとしての夢です(笑)」