人生のヴェテラン達の素敵な生き方、愉しみ術
最近、人生である程度の年齢に達した人達のことを「ヴェテランズ」と呼ぶことがある。とても素敵な言葉だ。人は経験を積み、経験から学ぶ。長く生きれば当然その分、経験から様々なことを学ぶことができる。もちろん、その経験から“人生の本当の愉しみ”を見い出すことができるのも、ヴェテランズなればこそ、といえるのではないだろうか…。
アメリカの諺に《There’s many a good tune played on an old fiddle.》という言葉がある。「古いバイオリンでもよい曲が多く弾ける」と訳する。
高齢化社会の中、老後の不安が浮き彫りになっている昨今。また、戦後の高度成長期を支えてきた団塊の世代と呼ばれた人達が定年を迎える時代になり、老後という時間をどのように生きればいいのかという不安を抱えている人達も決して少なくないという。しかし世の中をみれば、年齢を重ねるごとに人生の愉しみを極め、悠々自適に自分らしい暮らしを楽しんでいる人達がたくさんいる。そんな人達のライフスタイルに目を向けることで、齢(よわい)を重ねることは素晴らしいことだと感じることができるのではないだろうか…。
今回は、函館市内をはじめ道南在住のヴェテランズに注目し、いつまでも元気に人生を楽しむそのライフスタイルにスポットを当ててみた。この地域の風土と気質をこよなく愛し、北の港町でいきいきと暮らす人生の達人の皆さんにあらためて敬意を表したい。
『桜並木の小さな家』を訪ねて…
市内人見町から松陰町へと続く『桜が丘通り』は、道南でも有数の美しい通りとして知られ、桜が咲き誇る季節には、各地から散策客が訪れる1本道。
その美しい通りに『桜並木の小さな家』はある——。
昨年、この1本道に満開の桜が咲き誇った頃、『桜並木の小さな家』は誕生した。開設者は、この家の持ち主でもある松村紀(はじめ)さん夫妻。「函館には元気な高齢者が集まって、いきいきと思い思い楽しめるスペースがまだまだ少ないのでは…」。ご主人の郷里である函館で暮らしはじめた夫妻がこの街で受けた、そんな思いがきっかけとなった。
メンバーとして登録すれば、毎週火曜日に集まり、午前10時から午後3時30分まで、思い思いの趣味や活動に没頭できるのが特徴。従来のサークル活動のように、皆が同じことをしなければならないというような拘束は設けていない。刺繍の得意なメンバーから学ぶ人達…、折り紙の技術があるメンバーから学ぶ人達…、庭いじりの知識が豊富なメンバーから学ぶ人達…、麻雀の得意な人に誘われ、卓を囲む人達…。この場所ではメンバーそれぞれが講師になり、それぞれの人生で身につけてきた知識と経験を教えあう。お正月が近くなった時期のある日のランチタイム…函館で長く主婦をしてきたメンバーのひとりが、お正月時期に鯨汁を作ってふるまう。本州から移住してきたメンバーが北海道ならではの正月料理に驚き、美味しく味わったという。
ここには、さまざまな場所でさまざまな時代にさまざまな生き方をしてきた、ヴェテランズの人生の数だけの愉しみがある——。
竹島 節子さん(78歳)
横浜市から移転し、新聞記事でみつけた『桜並木の小さな家』のメンバーになった。現在は、綺麗な包装紙とリボンを使っての紙人形作りなどに挑戦している。つまようじを使って30枚以上の小さな紙をていねいに折る作業は根気がいるが、手先の器用さを活かして力作の完成を目指し、頑張っている。日常生活の中でみつけた綺麗な包装紙を集めることも、この趣味を楽しむ醍醐味のひとつなのだとか…。
蝋山 満さん(84歳)
『桜並木の小さな家』のメンバーになって、最初にハンカチの刺繍をしたのを皮切りに手芸、絵画、着付など幅広い分野に趣味の裾野を広げている。今春に特別養護老人ホーム『旭ケ岡の家』で開かれた展覧会には、大きな布に北海道地図を刺繍し、道内各地の名産品などを細かく刺繍で描いた観光マップなど、80代とは思えない力作を幾つも出展。趣味の域を超えた繊細な技術で見学者から絶賛された。現在は機織りに初挑戦中で、着物の帯の完成を目指して頑張っているそう。
集まったメンバーは皆、思い思いの好きなことに没頭できるのが『桜並木の小さな家』の最大の魅力。麻雀が得意なメンバーの1人が初心者に親切にルールを教え、一緒に卓を囲む部屋はとても和やか。
“今日は何を覚えようか…”そんな楽しみが毎週毎週、やってくる。
桜並木の小さな家
平成15年春に開設。現在の登録メンバーは50〜90代が30人。手芸、機織り、パッチワーク、絵画、折り紙など思い思いの趣味や活動を行うことができるほか、顧問講師を招いての講座なども行っている。毎週火曜日の午前10時30分〜午後3時30分が活動日。ランチタイム、ティータイムも一緒に過ごす。会費は、会場費が500円、食費が300円、冬場のみ暖房費100円。登録メンバー及びボランティアを募集中。会場費500円のみでの1日体験可。
●人見町25-28
Tel:54-3575
人生、愉しんでこそ…。悠々自適、ヴェテランズの毎日。
【木々に囲まれた空間で人生の集大成を】中川義和さん、美佐子さん夫妻
鹿部町の美しい自然の中で人生の集大成を——。神奈川県からこの春、鹿部町に移住してきた中川義和さん、美佐子さんご夫妻は、「五感を働かせて人生を楽しむ」という夢のライフスタイルを実現するためにこの地を選んだ。
もともと、札幌市や東京都内で教員を務め、その後は都内でレクリエーションの指導者として生涯教育の分野などに貢献。自然の中で知恵を絞り、人間同士が力を合わせて生きることこそ人生の醍醐味であるという思いから、ご主人の義和さん実に75歳にして、憧れの田舎暮らしの実現に至った。広い敷地内には自宅のほか、自然の中から様々なモノを作り出すための作業用テントが張られ、現在は周囲の人達と自然を満喫できる空間「遊びを創る小屋」を建設中。スモークハウスやピザ焼き釜など、アウトドアクッキングのスペースの中で自然を愛する多くの人達と触れ合うほか、今後はカヌー作りにも挑戦したいと夢を膨らませる。奥さんの美佐子さんも都会暮らしの頃の仕事の忙しさから解放され、今後はゆっくり庭作りなどをしたいとのこと。木々に囲まれた自然の中、共通の思いを持った近所の人達とコミュニケーションをはかりながら、レクリエーションの達人らしい、素敵な時間を過ごしているヴェテラン夫婦である。
【体に優しい麺を作り続けて…】『古川うどん店』古川準一さん、君子さん夫妻
市内弁天町・大黒通にある『古川うどん店』の歴史は、昭和20年からはじまった。店主の古川準一さん(76歳)と、妻の君子さん(68歳)は、昭和36年に結婚。お互いの忍耐と努力で現在まで、無添加で体に優しい麺を作り続けてきたという。無口で照れ屋、職人気質の準一さんと君子さんとは、意見のぶつかり合いもあった。そんなエピソードのひとつが冷凍庫の話。この店には冷蔵庫がないが、冷凍庫を置くことで麺をたくさん作り保存できるが、準一さんは反対。「いま思うと、作りたての麺でなくなるというだけではなく、私が寝る間も惜しんで麺作りをするようになるだろうと考えてくれたからなんです」と君子さん。昨年、準一さんが入院した時、2人は履き物と一緒で、2人一緒でないとはじまらない…と思ったそう。取材中も足を運ぶ人が後を絶たない。2人揃って作る麺の味、それこそがこの店の魅力。決して、派手さはいらない。麺のように「細く長く」が2人の目標なのだから…。メニューはうどん・そば・ラーメン各1玉80円。焼きそば、焼きうどん各350円〜など。営業時間は午前8時〜午後7時。
食堂は午前11時30分〜午後3時。毎週日曜日、月曜日定休。
●弁天町13-2
Tel:22-8743
【ダンスの楽しさを伝えたい…社交ダンス暦57年】日根 鉄雄さん
港街・函館は、道内でも早くから社交ダンスが普及した地域といわれる。日根鉄雄さん(80歳)は、営林署に勤務していた昭和22年にダンス教室に通いはじめ、以来57年、ダンスを続けている。教室で知りあった夫人と結婚後もダンスを続け、夫妻でアマチュアダンス全日本大会出場の経験があり、現在も発表会では2人で踊るという。60代に病で入院したが「一病息災で元気ですよ」と笑う。ボランティアでダンスを教える『函館アマチュアダンス指導員会』を発足させ、ダンス人口の裾野を広げようと活動を続けている。福祉センター、サンリフレでダンス指導をするほか、チャリティーダンスパーティーや旭ヶ岡の家への訪問活動など活動の幅も広く、チャリティー事業の功績で道社会福祉協議会から感謝状も受けた。
難病を抱えながらも目標を持っていきいきと活動する姿はとても80歳には見えない若々しさ。「50年以上も続けていると、ダンスはもう体の1部のようなもの。趣味を通り越して当然のように体に染み込んでいるものなのです」という日根さんにとっても半世紀以上にも及ぶダンス生活は人生そのものといえるかもしれない。これからも函館のダンス愛好者の増加を目指し、ダンスの楽しさを伝えてゆきたいと意欲を燃やしている。
【美容の道、ひと筋に…】井村セツさん
上磯町飯生で『いむら美容院』を経営している井村セツさん(74歳)は、美容師歴57年。現在も現役で店を切り盛りしています。
井村さんが美容師を志したのは昭和21年。女学校卒業の翌年でした。母と兄の勧めにより札幌にある親戚の美容室に入り、4か月の修業の後、上磯町に戻って開業。17歳という若さで経営者になりました。美容師になるなら、洋髪だけでなく婚礼着付もできるように…という母と兄のアドバイスから、日本髪と着付の技術を勉強し、20歳からは花嫁を作るようになりました。井村さんが婚礼着付を手掛けた昭和30〜60年代は、文金高島田の全盛期で、多忙を極めたそうです。店には婚礼衣裳を多数そろえ、花嫁作りに奔走。ある時は美容道具を自転車に積んで、ある時は花嫁さんに付き添って汽車で式場に向かうということもあったのだそう。店も軌道に乗り結婚、出産と、仕事と家事の両立も果たしました。昭和49年には腎臓を悪くし、その片方を摘出しましたが、その大病も乗り越えました。「若くして店を開業し、働き通してきましたが、今まで“疲れた”とか“休みたい”と思ったことは1度もありません」と井村さん。毎朝8時に店を開ける時が、今でも1番楽しいそうです。