はこだて港まち伝説…今回紹介したレジェンドは、この街に伝わる物語の、あくまでほんの一端でしかない——。
昔、函館には「国道4号」があった…
大正9年、旧道路法に基づく路線認定で国道4号は「東京都より北海道庁所在地に達する路線」となった。つまり現在の国道4号(本州)と国道5号が「国道4号」だった時代があり、市内末広町の東浜桟橋(旧桟橋)前は当時の国道4号の道内起点となった。ちなみに東浜桟橋横には、昭和3年に建てられた「函館市道路元標(げんぴょう)」が現在も残されているが、これは函館駅前から末広町、そして海を渡って、青森県野辺地町まで続く国道4号の本道上陸地点とされていたもの。昭和27年に国道起点は函館駅前に改正。国道279号は末広町から函館駅前までの短い国道と思われがちだが、実は国道は海上でもつながっていて、青森側に100kmほど延長しているのだ。(取材協力/北海道開発局函館開発建設部)
亀田八幡宮の旧本殿には、箱館戦争時の弾痕が残っている…
亀田八幡宮の歴史は古く、1390年に箱館の開祖河野加賀守森道が敦賀気比神宮より分霊して奉祭したのがそのはじまり。旧本殿は松前藩の祈願所として建立されたもので、本道で最古の木造建築といわれている。その本殿の右側上部に数10箇所の小さな穴があり、それが箱館戦争時の弾痕。当時を記録した「新開調記」や「明治一代箱館見聞記」によると、明治2年(1869年)5月15日、旧幕府軍が多数亀田八幡宮に集結。官軍がそれを追ってきて、敷地内に広がる鎮守の森で銃や大砲を撃って攻撃したという。その時の激しい攻撃により、銃弾が当時の本殿にも打ち込まれたのだという。(参考文献/近江幸雄著『箱館戦争史跡紀行』 取材協力・資料提供/亀田八幡宮)
昔、函館には、石川啄木の歌にも詠まれた伝説の乞食がいた…
明治〜大正時代、函館に「万平(まんぺい)」という名前の伝説の乞食がいた。毎日、ごみ箱の中から食べる物を探していたというその乞食は、その家のごみ箱の中身からみた人物評を書き綴るなど、俗にいう“奇人”として知られており、石川啄木の「むやむやと口の中にてとふげの事を呟く乞食もありき」という歌にも詠まれた。万平の供養塔が市内船見町の『地蔵寺』にあるが、「万平塚」と呼ばれるその塔を建てたのは、藤岡惣兵衛という大阪の鉄工場主。この鉄工場主が函館を訪れ、道で万平にタバコの火を借りようとした際、「帽子も取らずに…」となじられたが、その人柄に感じ入り大正4年、万平の死後に函館の知人の協力を得て建てたといわれている。(取材協力/地蔵寺 参考文献/北海道新聞社編『はこだて歴史散歩』)
函館には、その昔、夜になると泣いていたといわれる石がある…
その昔、夜泣きしていたという伝説の石は、市内船見町の『日蓮宗実行寺』裏をしばらく上った場所にまつられており、「夜泣石」と呼ばれている。伝説によると、石の泣き声はその昔、悪人に殺害されてこの石の下に埋められた母子の亡霊の泣き声といわれており、1296年に布教のため函館を訪れた日蓮聖人の弟子・日持上人が、石の泣き声を静めるためにお経を書いたら泣き声が止んだというもの。古くから信仰の石として知られるこの石は、もともとは函館山にあったが、1899年に函館山が要塞になる時に現在地に移された。夜泣石伝説は、有名な静岡県の弘法大師の話など全国各地にあるが、実は函館にも夜泣石伝説があった。(取材協力/函館市中央図書館 参考文献/北海道新聞社編『はこだて歴史散歩』)
湯川のお寺に、弘法大使の像といわれている西行法師の像がある…
弘法大師の像といわれているが、実は有名な歌僧・西行法師の石像があるのは、湯川3丁目にある『湯川寺』の境内。西行法師の石像というのは函館市内はもちろん、北海道でも実に珍しい石像で、大正12年に、西行法師の崇拝者であった新潟県の関川徳秀さんという人物から寄贈されたものだそう…。ちなみに、石像の姿は、鳥羽上皇に仕える方面の武士だった俗名・佐藤義清が出家し、「西行」という名で全国を遍歴した旅の歌人の姿を再現したもの。同寺では、寺を訪れた人に石像のことを説明しても西行法師のことが分からない人が多いという理由から、「弘法大師の石像」と言っているそうだが、実をいうと北海道では珍しい西行法師の像なのだ。(取材協力/湯川寺 参考文献/北海道新聞社編『はこだて歴史散歩』)
トラピスチヌ修道院には、あの有名なジャンヌ・ダルクの像がある…
トラピスチヌ修道院には、あの有名なジャンヌ・ダルクの像が飾られている。像は、旗と剣を持つ勇敢な姿で、聖堂の壁に飾られている。修道院の創立者がフランス人だったことから、大正時代にフランスから取り寄せられたものだといわれている。フランスの農家の娘に生まれたジャンヌダルクが旗を掲げてフランス軍を奮起させたものの、やがては19歳で火あぶりの刑に処された話はあまりに有名で、力強い女性の象徴的存在のジャンヌ・ダルクは語り継がれ、最近は映画にもなったことで知る人も多いが、そのジャンヌ・ダルク像が函館にもあることは意外に知られていない。今度、トラピスチヌ修道院に行く機会があれば、ぜひチェックしてみては…。(参考文献/北海道新聞社編『はこだて歴史散歩』)
函館に、お遍路さんで有名な四国八十八ヵ所霊場の参拝ができる所がある…
市内陣川町にある神山霊場には、四国八十八カ所霊場の石仏88体が並んでいる。明治時代、同地に湯治宿があり、宿までの道標的な役割も担う意味で明治33年、1本の道のりに石仏が並べられた。湯治宿は笹流ダム着工の際になくなったが、湯治宿があった「奥の院」まで続く道のりには88体の石仏が現存。いまも道内各地から参拝者が訪れている。88体全て参拝するための所用時間は2〜3時間。また、この霊場には西国三十三観音の33体の石仏もあり、両方の石仏が同じ場所にあるのは全国的にも珍しいといわれている。なお、参拝以外の入山は禁止。お参りは静かに行い、火気厳禁、ゴミは必ず持ち帰るなどの注意を、高野山真言宗神山教会は呼びかけている。(取材協力/高野山真言宗神山教会)
函館公園には、現役では日本一古い観覧車がある…
レトロな空気が漂う函館公園の「こどものくに」。ここにある観覧車は現役で国内最古ということが、専門家の調査で昨年分かった。高さ12m、直径10m、2人乗りのカラフルな長いす型の客車8台がゆったりと回転する姿は独特の存在感。昭和の名残ある小さな観覧車ながら、頂上から海も見えて心地よさは満点。「こどものくに」の熊谷有未さんは、「もともとは1950年に七飯町の大沼公園の湖畔に設置され、1965年に移設されました。客車などは取り替えられていますが、八角形の回転輪は当初のままなんですよ」とのこと。子供とともに大人のファンも多いという、実は貴重な観覧車だったのだ。料金は1周250円。
営業時間は午前10時〜午後5時。「こどものくに」の問い合わせはTel:22-5039。
【近郊編】北斗市の海上に、函館要塞の大砲の角度を決めるための装置が残っている…
国道228号線沿いの北斗市茂辺地付近の「矢不来(やふらい)」という場所の海上に、函館要塞の大砲の角度を決めるための装置が現存する。函館山は昔、要塞だったが、その大砲の角度を決めるため潮位を測定し、定点を決めるための「水尺(すいじゃく)」という装置がこの物体。地元の人からは昔から「矢不来のボーズ」と呼ばれ、謎の物体とされてきたが、昭和53年に新聞で紹介された際に、それを読んだ旧陸軍の函館要塞に勤務していた人が事実を証言した。(参考文献/上磯地方史研究会編『上磯町歴史散歩』)
【近郊編】七飯町大沼に、くぐると願いが叶うといわれる大岩のすき間がある…
大沼公園駅から湖岸周遊道路を、湖を左手に眺めながら進むと、銚子口のキャンプ場から程近いところにあるのが駒ヶ岳神社。この神社横に、ひときわ目を引く大岩がある。寛永18年の大噴火で溶岩が噴出した時に落下した石と火山灰のガラス状物質が溶けあってできた溶結凝灰石の大岩で、岩と岩がもたれ合うようになったすき間は通り抜けることができて、「そこをくぐると難関突破する」との意味合いから、登山の安全や安産、家内安全を願う人の祈願の対象になっているという。(取材協力/大沼国際交流プラザ)
【現代編】ハセガワストアの「やきとり弁当」は、酔ったお客さんの一言から生まれた…
それは1978年のある夜の話…。当時、長谷川文夫現会長が店でレジを打っていた時のこと、1人の酔ったお客さんが来店し、「お弁当ないの?」と会長に聞いた。会長はとっさに、店内で作っていたおにぎりに使うご飯と海苔、そしてお酒のおつまみ用に焼いていたやきとりの3つを組み合わせて弁当を作った。それこそが、いまや全国的に有名なハセガワストアの「やきとり弁当」の原点。その後、材料の吟味や、やきとりを焼く店舗の改良を重ね、シンプルながら絶妙な味わいが超人気の函館を代表する味のひとつ、「やきとり弁当」となった。
【現代編】ラッキーピエロのチャイニーズチキンバーガーはライダーが人気を広めた…
「チャイニーズチキンバーカー」(315円)の人気の火付け役は、「GLAY」と思っている人が少なくないのでは…。実は、その名を最初に広めたのは、バイクで本道を旅しているライダーだった。1987年の『ベイエリア本店』のオープン当初、地元の知名度は高くなかったが、ライダーの口コミが発信源となりマスコミ、地元へと人気が広がった。安心の食材と環境に優しい店作りという点は変わらず。20周年記念新メニュー「毒りんごパイ」と、7月1日から登場のマイバーガーアイデアコンテストによる新商品もお試しあれ。