青いぽすと

ホッコリできる話

2006-02-14 vol.342

家族に会いたくなる-笑って泣けて…ホッコリできるエピソード

忘れられない思い出…、感謝の気持ち…、苦しみや悲しみを乗り越えた日々…。1枚のハガキに綴られた、さまざまな家族のエピソードが編集室に寄せられました。ほのぼのとした暮らしのワンシーンから、涙がこぼれるほど素敵な人間模様まで、それぞれの家族の風景が、たしかにそこにありました。

【序章】七章で綴る家族のかたち

いい時も、悪い時も、ただいつも、一緒にいればいい…。それがきっと、素敵な夫婦のかたち。
ともに白髪が生えるまで——。

目次

【第一章】定年の日、第2の人生…

うれしさで涙がこぼれました

夫が定年退職した日、長い間お弁当ありがとうと言ってくれ、そして金一封まで添えてくれた時、うれしさで涙がこぼれました。いま、熟年離婚ばやりですが、私は夫とは別れません。
(亀田港町、T・O)

これからも元気で…

私と主人は9歳違いで、主人は今春、定年になりました。2年くらいは嘱託で勤められますが、今までのようにボーナスや手当てはないので、どんどん生活費や税金の支払いでお金が飛んでしまいます。でも主人には今まで働いてくれて感謝しています。これからも元気で長生きしてほしいです。
(熱々ブルー)

夫婦一緒に汗を流しています

私の夫は今年4月に第2の職場も退職しました。それと同時に夫婦一緒にウォーキング同好会に入会し、毎週おにぎり持参で10月まで楽しく汗を流し、冬に入り、少ししぼり込んだ体型を維持しようと思っています。46年間頑張ってきた夫に感謝して来年も楽しみたいです。
(杉並町、S・T)

結婚前にタイムスリップ

サラリーマンを卒業。背広を脱ぎ捨て、「さて、今日から何を着ようか」と1人、ファッションショーを楽しむ。わずかにあいたドアからワイフが覗き、クスッと含声の「咳払い」。振り向くとウインクして逃げる姿に、結婚前のデートの時にタイムスリップ。思わず、笑いをこぼしてしまった!
(日吉町4丁目、K・K)

年をとるのも悪くないなぁ…

私達夫婦は共に還暦をすぎ、いまは時折アルバイトをしたりして年金生活を送っています。主人の退職を機に、これからは2人でひとつの生活、年金も日々のこまごまも、2人で助け合わなければと話し合い、暮らしています。忘れることも、ドジったりすることも2人で交互にしています。何より静かに話すようにしているつもりです。主人がカッとなった時、私は黙って山がおさまるのを待ちます。主人も同様だと思っています。ゆっくり待てる心のゆとり…年をとるのも悪くないなぁ、と思っています。95歳の姑と27歳の息子と、これからもゆっくり仲良く暮らしてゆきたいと思っています。
(日吉町3丁目、Y・M)

【第二章】親から子へ… そして子から親へ…

父の流した涙を忘れずに…

今年、我が家の1番の嬉しいことは、娘の結婚ですね。この結婚に至るまでには色々なことがありました。第1には主人の反対でした。その主人が娘に「幸せになれ」と言った言葉…いまでも忘れません。バージンロードでは娘をエスコートしながら新郎の元に行くまで大粒の涙を流していた我が主人…。最後に娘へ。父の流した涙を忘れずに、いつまでも幸せに…。
(匿名希望)

親子の絆を感じる一瞬

親の反対を押し切って東京に出た息子。選んだ仕事は訪問介護のヘルパーさんだった。自分の部屋でさえ掃除しなかった子が、よそ様の家事手伝いが出来るのだろうかと、親の方が心配だった。部屋の中を右往左往する姿を想像し、可哀想やらおかしいやらの複雑な気持ちだった。ある時、「お父さん元気か? いま、お父さんとソックリなおじいちゃんの世話をしてるんだ。急に心配になって…」の電話。病弱の父を思い出したのだろう。親子の絆を感じる一瞬だった。そんな息子のヘルパー歴も3年目に突入。いまでは余裕すら感じられる。たまに「カゼひかないように、無理するなや」の言葉をくれると、ついホロリ。
(美原2丁目、M・K)

お母さんへ

今年は、泥棒に入られたり火事になったり大変でした。でも、家族で頑張っていこう! 犬のコロも猫のマルもみんなついているからさ。きっと、いいことあるよ!
(匿名希望)

両親へ

もっと永く、一緒にいれたらよかったのに。今ならもっと、やさしく出来るのに。
(山の手2丁目、T・H)

【第三章】ほのぼのとした家族のひとコマ…

主人と母は大のケーキ党

主人と母は大のケーキ党で、毎年クリスマスは1人でワンホールずつ食べます。母は「1度でいいから、丸ごとスプーンで食べたい」と、昨年のクリスマスで実行しました。とても人様にお見せ出来ない食べ方ですが…。でも、ケーキの苦手な私には興味深い光景です(笑)。
(七飯町、N・T)

すねるお母さん…

昨年、お母さんの誕生日には何もなかったのに、犬の誕生日に丸いケーキを買ったら、お母さんは「お母さんの誕生日は何もないのに、犬の誕生日にケーキがある…」とちょっとだけすねていました(笑)。母は来年、還暦を迎えるので、来年こそは盛大にお祝いしてあげようと思うのでした。
(めろたん)

うちの父は…

うちの父ですが、携帯電話が流行りはじめた頃、電話の子機を携帯電話のかわりに持ち歩いていました。通じないっ〜のに…。
(湯浜町、S・S)

父から言われたこと

妹と弟が結婚して、私が30歳になった時、父が「おねえちゃんは、ず〜っと家にいて良いからネ」と言われ、ちょっとフクザツな気持ちになりました。33歳になったいまも、負け犬街道まっしぐらです。
(日吉町1丁目、E・T)

【第四章】苦しみも悲しみも家族がいるから…

ママ、頑張ってくるからね

求職中で、半年ほど前からハローワークに通っていますが、未だ仕事が決まりません。なぜなら、面接の時に必ず言われることがあります。それは子供のこと。2歳になる娘が1人いるのですが、いつも面接で「子供が熱を出したりの緊急時はどうするんですか?」など、子供のことを言われ、不採用となることが多いのです。数回、面接を受けていますが、毎回こうだと、疲れちゃいました。現在は母子家庭で娘と2人で暮らしているのですが、こんな状況だからこそ、早く仕事をはじめ、まじめに長く勤めたいし、何より娘にしてあげたいことが山のようにある。どんな会社に面接に行ったら採用になるんでしょうか? 今夜も娘の寝顔みて、「ママ頑張ってくるからね!」と気合いを入れて、ハローワークへと職探しに行ってきま〜す。
(匿名希望)

ずっと一緒にいようね…

突然、命の期限を宣告されて驚き、ショックで泣いてばかりいましたが、こうなって今、家族が本当に心からいたわりあえるようになって、幸せも同時に感じています。ずっと一緒にいようね、お父さん。春も夏も秋も冬も…。
(東山2丁目、M・N)

息子達は私の宝であり、支えです

離婚を機に息子達と函館へ来ました。親切な方や優しい方が多く、以前から函館で暮らしたいと思っていたので、私にとって良いスタートとなりました。しかし、気がかりは父親をなくした息子達。淋しいのは当たり前です。学校や住み慣れない街に不安がいっぱいの息子達が日一日と順応してゆき、明るく笑顔でいてくれることに感謝と驚きでいっぱいです。何より私を想い、「ボクがお父さんになるから大丈夫」と言ってくれる長男。逆境にくじけず、たくましく頼れる息子達は私の宝であり、支えです。
(匿名希望)

3人一緒に頑張ります!

私は母子家庭で、小6と小3の娘の3人で暮らしています。仕事もフルタイムで残業などで夜中に帰る日も…。夕御飯も一緒に食べれず、子供達2人で作って食べたり…。いつも心の中で、ごめんね、と涙。だけど2人共明るくて、「おかえり〜」と笑顔で迎えてくれます。これからも3人一緒に頑張ります!
(赤川町、T・F)

【第五章】忘れじのあの日の想い出

父親へのクリスマスプレゼント

クリスマスになると思い出すことがあります。今は亡き父親へ、末っ子、次女、三女が10円、20円のこづかいをためて、たしか500円くらいの長ぐつをプレゼントしたことがあります。口数が少なく、仕事から帰ると晩酌をしてすぐ寝るだけの父でしたが、その日はおそくまでお酒を飲み、何度も長ぐつを見ていました。私達3人は寝床の戸を少し開けて、何度も父のうれしそうな姿を見ていました。
(鍛治2丁目、K・N)

私にとってのクリスマスイブ

今年も、いろいろな人が年に1回楽しみにしているクリスマスがやってきます。でも私にとっては、クリスマスイブは母を亡くした悲しい日でもあります。数年前の雪の降る夜、まるでトナカイがプレゼントを配った後、母を乗せて天国まで送ってくれたかのように思いました。今は静かな気持ちでクリスマスを迎えられるようになりました。
(匿名希望)

ベビーバス

鉢物の植え替えをする時に、いつも登場するのが、30年を過ぎた「長男が使ったベビーバス」。広く、深いので、土と肥料などとを混ぜる時にとても使いやすくて、なかなか手放せません。このバス様の履歴書を見ましたら、長男、隣の孫さんの夏のプール、魚釣りの魚入れ、カニかご入れと幅広い歩み。でも、本当にバス様を手放せない理由は、長男を入浴させた楽しい思い出を消したくないからかも知れません。
(上湯川町、M・T)

昭和30年代、私達の青春…

先日、主人と映画『ALWAYS三丁目の夕日』を観てきました。昭和30年代、私達の青春でした。函館も駅前から松風町は華やかだった。『ギターを持った渡り鳥』の撮影もあったり、出演していた俳優さん達とコーヒーを飲んだことを思い出しました。
(上湯川町、S・K)

【第六章】子供がいる風景孫がいる風景…

ここの家に生まれてきて…

小2の息子がサザエさんを観て「ここの家(自分の家)に生まれてきて良かったぁ」と。あのサザエ家より、我が家の方が良いと言ってくれて、なんか感激しました。理由は波平がすごく怒ってたからみたいですけど…。
(東山1丁目、M・M)

大きくなったでしょう

孫は年少組で1番小さいので、だっこするたびに「大きくなったネ」と言うと、嬉しい顔をします。最近では、自分の方から「大きくなったでしょう」と言いながら、体に力を入れます。大きくなって、おばあちゃん、だっこできなくなるネ。私にしては淋しい気持ちです。
(深堀町、T・S)

ママ反省…

うちの4歳のムスコの話なのですが、パパが「サンタさんに何を頼んだの?」と聞くと、もうすでに終わってるテレビ番組のおもちゃを11月中から言っていました。しつこすぎてうんざりしていた私は、とっさに「もうテレビでやってないからトイザらスには売ってないの!」と怒り口調で言ってしまうと「なんでサンタさんからのプレゼントなのにトイザらスなんだよ〜」とムスコは号泣。あやまるしかありませんでした。子供の夢を、もっと大切にしようと思います。
(神山3丁目、R・K)

【第七章】いま、伝えたい感謝の気持ち…

いま亡き父親へ…

いまとなって亡き父親のありがたみを深く感じています。生きている時には気づかず、何もやさしい言葉をかけてあげられなかった。いまなら私は社会人として一人前になって、お給料でおごってあげたりセーターでも買ってあげたかった。そしてたった1度でいいから「会いたい」と思う、今日この頃。
(港町3丁目、Y・N)

手紙に書いていたことは…

遅くまで仕事があり、延長保育を何日も続けてもらっていたある日、迎えに行った時のことです。3歳の息子は、紙にミミズの這ったような字を書いたものを「お母さん、お手紙」と保育園の玄関で手渡してくれました。「何て書いてあるの?」と聞くと、「お母さん、いつもお迎えありがとう」でした。嬉しくて疲れもふっ飛びました。
(中道2丁目、K・I)

主人のみそ汁

私の仕事が変わり、主人より遅い帰宅になると、主人は、みそ汁だけは毎日作ってくれ、きちんと昆布だし、煮干しだしをとり…で、とっても美味しいです。そんな主人に感謝、感謝です。みそ汁を飲むと、心まで温まります。
(匿名希望)

7歳の娘に感謝しています

今年の秋頃から風邪が治りきれず、1週間点滴で通院し、熱や痛みをおさえました。その間、7歳の娘が茶碗を洗ったり、お米をといだり、私の冷えピタを取り替えるなど、いま、思い出しても涙が出るくらい嬉しく、感謝しています。
(七飯町本町、A・T)

ダンナの存在は大きかった…

今、うちのダンナさんは日高の方へ出稼ぎに行っています。ここ何年か、1年のうちの半分は出稼ぎに行くという生活になりました。私は子供3人(12歳、7歳、3歳)と私の4人で暮らす毎日なのですが、ダンナがいなくなってからは、あ〜、ダンナはすごく大きい存在だったんだとか、仕事ごくろう様だなあとか、感謝しなきゃいけないことだらけでした。
(美原3丁目、H・S)

家族って本当にいいものですね

今年の春、私が体調を崩し、しばらく入院した時、2人の娘が毎日、病院に来てくれました。20歳と18歳の娘は、「お母さん、家のことは心配しないで、早く元気になってね」と…。励ましの言葉が何よりの薬でした。そして、夫の献身的な支えがあったからこそ、ここまで回復したと思っています。病気になって、家族の大切さ、あったかさが身にしみました。家族って本当にいいものですね。
(大野町本町、R・F)

終章

何気ない日々の中では気づかないものがある…、失った時に初めて気づくものもある…。それはきっと、かけがえのないもの…、言葉にできないほど素晴らしいもの…。心温まる日々を、ひとつ屋根の下で——。

七章で綴る家族のかたち 青いぽすと Vol.342