青いぽすと

函館で活躍する高齢者

2009-09-15 vol.426

「続けることの大切さ」を人生の大先輩に聞いてきたら納得できた

ヴェテランという言葉を聞いて、どんな人を想像しますか? 何かの仕事を長く続けて、その熟練した技術が素晴らしい人…、長い間家庭を守り続け、育児や家事の経験や知識が豊富な人…、スポーツや文科系など何かの趣味を長く続け、後進にとってのお手本となるような人…。 私達の周りには、ヴェテランと呼ばれる、とても頼りになる人達がたくさんいます。そして私達に楽しく素敵に生きるコツをその生き方から教えてくれる、人生そのもののヴェテランもたくさんいます。人生のヴェテランは、齢(よわい)を重ねることの素晴らしさを私達に教えてくれます。

今回紹介する8人(組)の人生のヴェテランは、年齢というものはその人が何年生きてきたかという目安にしかすぎないのだと感じるほど、皆、若々しく元気で、充実した毎日をすごしている人達です。やはり私達はこうした人生のヴェテランをリスペクトし、そして多くを学び、楽しくて素敵な人生をすごし、やがてそれを次の世代へと伝えてゆかなければならないのではないでしょうか——。
紹介した人生の賢人の生き方の中から、皆様の素敵な生き方のヒントになるものがひとつでもあればよいと思っています。

夫婦で作り上げた“旨い”と評判の店

『三條屋』 鈴木栄一さん・寿万子さん夫妻

「50年ほど商売をやってきて得た財産は、人とのつながりです」と、北斗市市渡・渡島大野駅並びにある老舗食堂『三條屋』店主の鈴木栄一さん(77歳)は振り返る。
昭和26年に食料品店を開業。その後、食堂を併設したのがそのはじまり。昭和32年に道南の八雲町から妻・寿万子さん(74歳)が嫁いできた。「最初の頃は苦労ばかりでした」と寿万子さんが振り返る、夫婦二人三脚での本格的な食堂経営がはじまった。
自慢の逸品は鈴木店主が試行錯誤の上で完成させたコシの強い太めの田舎そば。一億総グルメと呼ばれた時代にこのそばがブレイクし、評判を聞いてはるばる遠方から食べに来る人もいたという。
「お母さんに手を引かれて店に来ていた子供が、いつの間にか年老いたお母さんの手を引いて店に来ています。そんな姿を見ると、涙が出そうになりますよ」と鈴木店主。
現在は長女の栄さんも店を手伝っており、親子3人で店を切り盛りしている。自慢のそばの味はもとより、家族の温かさがこの店の魅力といえるのではないだろうか。『三條屋』はTel:77-8145。

心を磨くスポーツ、弓道で得た充実人生

弓道指導者 荒木文夫さん・格口志郎さん

荒木文夫先生(=写真左、80歳)と格口志郎先生(75歳)は、共に弓道指導者。昔、会社経営をしていた荒木先生は、若い時に相当気性が激しかったそうで、従業員に手を上げてしまうこともあったといいます。たまたま江差町のかもめ島に行く機会があり、島開きの神事で弓道を知りました。「自分を静めるにはこれだ!」という直感から函館に戻ってすぐ教室を探し、弓を習い始めました。
一方、格口先生は、「これから生涯を通じて出来ることは何か?」と思っていた頃に辻幸雄先生(7段)という権威ある指導者と出会い、弓道の魅力に目覚めました。それぞれ修行を積み、やがて指導者への道を進みます。
2人とも現在は函館市の弓道教室を受け持っており、同時に荒木先生は有斗高校、格口先生は工業高校で生徒達に熱心な指導をしています。2人が弓道を始めたのは偶然同じ昭和45年で段位も同じ錬士5段。精神鍛錬の武術の成果でしょう。いまや皆から愛される素晴らしい指導者です。『函館市千代台公園弓道場』はTel:53-4322。

心で作る、手作りだんご

『三色だんご若竹』店主  竹内みよ子さん

『三色だんご若竹』は明治38年創業。4代目となる竹内みよ子さん(80歳)のご主人、竹内一郎さんが肝臓癌のため入院したのは30年程前のこと。当時は四季折々の和菓子なども販売していたが、「だんごの作り方くらい覚えておいても損はない」と、一郎さんは毎日病室を抜け出し、みよ子さんにだんご作りを教えはじめた。1年後「85点やる。残りの点はお客さんにもらえ」と言い残し、一郎さんは息を引き取った。みよ子さんは閉店を考えたが、同じように湯川で商売を営む人達が背中を押した。「この店はだんご屋だ。だんごさえあればいいじゃないか」「頑張りもしないで、暖簾を下ろすのか」と…。言葉だけではない。団子を買い、自分の店に来る人に食べさせ、三色団子の味を広めてくれた。「湯川の人情とお客様に支えられ、ここまでやって来られました」と語るみよ子さんが作る団子は“心で丸める”味。心で作る手作りだんごを、ぜひ1度ご賞味あれ。店頭販売は午前9時〜午後3時。ほか、予約制で承り中。毎週木曜日定休。『三色だんご若竹』は湯川2-4-31、Tel:57-6245。

地域に愛される理髪店を創業

『Kingハバザキ理容院』創業者  幅崎 巖さん

「家族でハバザキさんにお世話になっています」という話を耳にする『Kingハバザキ理容院』。
現在は息子さんが主に店を切り盛りしていますが、創業者の幅崎巖さん(64歳)も現役で活躍しています。18歳の時に最初に就職したのは意外にも飲食関係だったそうで、その仕事を3年続けた後、手に職をつけようと東京で理容業の修行を始めました。木古内町出身で、「いつか地元に近い函館に店を持ちたい」という願いを叶え、昭和47年に開店。当初、店は的場町でしたが、駐車場を設けるため昭和51年に現在地に移転。以来37年間技術を振るい、現在では地域になくてはならない存在の店になりました。お店の片隅にあるお客様アンケートブックには、お店の清潔感や親子の仕事ぶりを讃えた言葉が並んでいます。体の不自由な人への配慮、高齢者への送迎サービス、低料金設定。これを読めば人気の秘密に納得。思いを引き継いだ2代目と共に、「信頼の技術の床屋さん」として忙しい日々はまだまだ続きそうです。『Kingハバザキ理容院』は堀川町22-3、Tel:52-7869。

利用者の喜びを生き甲斐に…

『占い専科21』代表  易源 洲鵬さん

個人鑑定をはじめ、イベントや弟子の育成など、精力的に活動する『占い専科21』の易源洲鵬先生(71歳)。病弱な子供時代に、「何をするにも体が資本」との中学時代の恩師の薦めでスポーツ主流の高校へ入学し、これを機に健康を取り戻す。後に出版社に勤めるが、“名前で人生が変わる”といった占いの奥深さに惹かれ、取材を通して出逢った占い師の元へ弟子入り。しかし、ようやく独立した頃、病に倒れた両親の治療費で裸一貫の状態に陥ってしまう。そこで出版社時代に培ったアイデアを生かし、JRの待合室で占いをする企画を持ち込んだところ、これが大ヒット。「健康でさえあれば乗り切れる」という中学時代の恩師の言葉が苦難の時を支えた。函館に店を構えたのは10年前。“気軽に利用できてよくアタル”占いが反響を呼んだ。「好きこそものの上手なれ」と話す易源先生は、利用者の喜びと安堵の顔を生き甲斐に今日も鑑定を続けている。総合鑑定2000円。午前10時〜午後9時。毎週水曜日定休。『占い専科21』は梁川町18-20、Tel:55-1031

技術、才能は資源…

『ファイブエコーズ』リーダー  大上養之助さん

ハワイアンバンド『ファイブエコーズ』は、町会のイベントや老人ホームの慰問など、ボランティアで演奏活動を行っています。
リーダーでスチールギター担当の大上養之助さん(77歳、=写真左から2人目)は、ハワイアン歴60年。大上さんの青春時代は空前のハワイアンブームで、昭和40年に日魯ホールで軽音楽祭が開催され、大上さんのバンドも出演したそうです。
社会人としての出発は「北海タイムス」のカメラマンでした。その後、函館に戻って、撮影とDPE店の経営や共愛会館の職員、共愛会病院で食堂と売店経営するなど仕事で忙しく、バンドができない時期もありました。
平成11年に『ファイブエコーズ』を結成し、バンド活動を再開。60歳になったらボランティア活動をしたいと手話を習い、手話通訳者にもなりました。手話と並行してハワイアンの演奏活動をしていましたが、現在はハワイアンに専念。「技術、才能は資源。有効に活用しなければ…」と話す大上さん。その信条をハワイアンで実践する日々です。演奏申し込みはTel:46-7181まで。

年齢を感じさせないステップ

ディスコダンス講師  宮川允子さん

市内若松町の『老人福祉センター』でディスコダンスの講師をしている宮川允子(みつこ)さん(71歳)の軽やかなステップは年齢を全く感じさせません。
ディスコダンスの講師になったのは20年前のこと。町会で始めた講座がきっかけで、当初は生徒でしたが、元来活動的な宮川さんは教える側になりました。全盛期は青年センター、女性センター、福祉センターで教室を持っていたそうです。
函館生まれ、新潟に育ち。結婚を機に函館に戻ってきました。結婚して暮らした市内本通地区は、当時は新興住宅地で住人は若い人が多く、町会活動も皆熱心で、宮川さんも率先して活動に加わりました。また、亀田地区のママさんバレーにも入り、全国予選全道大会のベスト8になったこともあります。
ボランティアから社会活動、趣味のグループまで行動範囲が広がるのは、前向きな宮川さんにとっては自然なことでした。現在は女性センターで家庭生活カウンセラークラブの一員として、相談員も務めています。

リハビリはテニス

テニスプレイヤー  西俣 栄子さん

毎朝、腕立てふせを100回、週に2回は5キロの散歩を、そして週1回のテニスのレッスンを欠かさないという西俣栄子さん(70歳)。20代、30代の人に混じってレッスンを受ける姿は、とても70歳には見えない若々しさです。
美智子妃殿下のテニス姿に憧れてテニスを始めたという西俣さん。結婚してからは、子供を交えて家族でテニスをしていたそうです。
小さい頃からテニスの才能を発揮し始めたお子さんの才能を伸ばすため2人を東京、神奈川へのレッスンに送り出しました。東京や世界で活躍したお子さん達はその後函館に戻り、現在、『アクティブ・テニススクール』を経営。
5年前、乳ガンの手術を受けて退院した西俣さんは、術後の筋肉の衰えを何とかしたいと思い、リハビリのためにテニスを再開しました。
もともと好きだったテニスは最高のリハビリでした。「思いついたらすぐにと行動するのが自分の癖」とご自身で話す通り、潔いその性格が若さの秘訣なのでしょう。

人生のヴェテランに学ぶ楽しく、素敵な生き方…。 青いぽすと Vol.426