青いぽすと

運動を習慣化する方法

2011-09-30 vol.477

運動を習慣化するコツを80年以上泳ぎ続けるお爺ちゃんに聞いてきた!

健康のためには定期的な運動が一番です。でも簡単なウオーキングですら続かないという人が多いんじゃないんでしょうか。「やらなきゃいけない」という意識ではなく、生活の中で習慣化することで、自然と長く運動し続けることができますよね。どうすれば運動を習慣化することができるのでしょうか。

目標に向かって、ひた走る…

斎藤 利仁さん

函館市内在住の斎藤利仁さん(45歳)がランニングを始めたのはいまから6年ほど前。禁煙を機にスポーツクラブや一般道路で週3回、1日3〜5キロほどを走り始めた。
「春に禁煙し、その年の秋の函館ハーフマラソンに1度出場してみようと、軽い気持ちで走り始めました。ハーフマラソンでは目標の2時間を切れなくて、悔しくてまた来年挑戦しようと…。それからあっという間に走ることにハマりました」
走ることの喜びは何といっても、練習を重ねるごとにタイムが縮まってゆくことなのだそう。
「例えばハーフマラソンの場合だと、まずは1時間45分以内、次は1時間30分以内、というふうに目標を決めてそれに向けて練習をします。40代になっても練習次第で成績がどんどん伸びてゆくのがランニングの魅力です」
函館ハーフマラソンには毎年出場しているほか、昨年は念願の北海道マラソンに出場した。
「走り始めてからは体重が減り、酒の量を減らしていないのに健康診断の結果も良くなりました」
斎藤さんは函館朝市に隣接する『ホテルニューオーテ』の代表取締役。仕事柄、函館のマラソンにまつわる話を聞いた。
「函館でもフルマラソンを開催しようという動きがあります。ぜひ、実現すればいいですね」
現在、スポーツ店にはさまざまなランニングシューズやお洒落なウェアが並んでおり、レースに向けて好みのウェアを選ぶのもこの趣味の楽しさなのだとか…。
「目標は50代で上位のランナーになること」
秋の心地よい風を感じながら、斎藤さんは目標に向かって走り続ける。

山が繋げてくれた数々の出逢い

オロフレ山で記念撮影をする向出 昌代さん

登山をはじめて4年目になる向出昌代さんが、漠然と〝富士山に登りたい〟と思ったのは40歳になる節目の年でした。しかしその頃は登山の経験もなく、何の準備も出来ていない状態。そんな時、何気なく開いた新聞から『自然倶楽部』鎌鹿隆美さんの登山教室を知り、鎌鹿さんの元で登山を始めることとなりました。「富士山に登る準備のつもりが、山の魅力にすっかりはまってしまいました」と話す向出さんですが、最初は60代、70代で山に登る人達よりも体力がないことを痛感したのだとか…。けれども、山にはこれまでに見たことのない景色や特別に感じられるおにぎりの味、何より頂上を目指すうちに気が付いた前向きな気持ちがありました。また、すれ違う人と声をかけ合い励まし合うことも、街の中では決して出来ない経験のひとつでした。
「大きな自然の中にいると、嫌なことも忘れてしまいますよ」とは、向出さん。ちなみに、子供の頃は遠足の登山も苦手だったのだとか。その違いは、登山用の靴や自分の背中に合ったリュックなど、きちんとした装備と関係があるようです。
「これから登山を始めるなら、まずは専門的な知識のある方に教えてもらって始めるのが安全だと思います」と、アドバイス。富士山という当初の目標は達成したものの、晴れの日には晴れの日の、雨の日には雨の日の、雪の日には雪の日の、幾つもの顔を見せてくれる山と、山が繋げてくれた数々の出逢いに魅了され、今後も山ガール・向出さんの歩みは続いてゆくでしょう。頂上から見える遠くの山々に、次の夢を乗せて…。

継続することで生活のリズムに

折原 敦子さん

「継続することで、それが日常生活のリズムになること。スポーツを趣味にすることの魅力はそこにあると思います」と話すのは、函館市内で40年続く『バドミントン愛好会』の創始者であり、代表である折原敦子さん。70代になった今も元気にコートを走り、仲間とバドミントンを楽しむ。
お子さんを通じた社会学級での体験がバドミントンとの出会い。以来、すっかりバドミントンの楽しさに魅了され、一時期は40人ほどのメンバーが集まったというこの愛好会を結成し、中心人物としてこれまで活躍してきた。
「気心知れた仲間と一緒に汗を流すことが1番。バドミントンの後、仲間と食事をしたりするのも楽しいですね」
活動は千代台町にある函館市青年センターの体育館で週2回、1回3〜4時間ほど。1年じゅうほとんどコートに通っているという折原さんは、「センターの都合でお休みになる時などは気が抜けてしまうほど、生活のリズムになっています」と話す。
日頃から体を動かしているとあって、日々の生活でも体調は極めて良好とのこと。市内にある他の愛好者との交流試合もあるなど、目標のある暮らしが、折原さんの元気の源なのかも知れない。
「最近の主婦の方は色々お忙しいようで、メンバーは15人ほどになってしまいました。スポーツをしたい方はぜひ、ご入会ください」とのことで、初心者でも、ラケットとシューズ、ウェアを用意すればすぐに仲間入りできるのだそう。月会費は1人3000円。詳細は折原さん(Tel:46-3859)まで。

5歳からのスキー歴

三沢 洋大さん

北海道スキー連盟、北海道赤十字スキーパトロール協議会の要職を歴任してきた三沢洋大さんは、60年を超えるスキー歴を持っています。小樽の天狗山近くに生まれ、5歳からスキーを滑っていました。身近に冬季オリンピック選手がいたこともあり、オリンピック選手を目指していました。高校を選ぶ時も天狗山に近い小樽工業高校を選び、スキー三昧の日々を送りました。しかし、競技スキーは続けていたものの自己の力量に限界を感じ、その後、「山スキー」へと転身し、冬山を目指しました。大雪を始め美瑛岳、十勝岳など道央の山を登り、時に生死を分ける経験も何度かしたといいます、冬山の恐ろしさも楽しさも分かりかけ、山ではお互いに助け合わなければならないという思いが、その後のスキーパトロールなどのボランティア活動への参加につながりました。税理士と言うストレスの多い仕事を続ける三沢さんにとって、何も考えずにいられる貴重な時間がスキーの世界です。スキーを滑る時の気分を、「天空高く舞う」感じと、話す三沢さん。スキーの朝は早くにゴンドラの前に並び、その時からもうスキーの楽しみが始まっているそう。12時すぎまで休まず全力投球で滑り、その後、温泉で汗を流して疲れをとる時の快感を楽しそうに話します。こんなに夢中になるものを友とするのが、「健康の秘訣でしょうか」と話します。エベレスト登山で知られる三浦雄一郎さんとも親交があり、これまで自然に楽しませもらったので、これからは山にお返しをしたいと、なにか出来ることを探したいと話しているそうです。

好きだから続けてきた

堀川 久男さん

堀川久男さんは大正10年5月生まれの満90歳。多い時で週に3〜4回はプールに通い、水泳を楽しんでいます。
泳ぎを始めたのは4〜5歳の頃。青森県・津軽地方の出身で、子供の頃はシジミ貝で有名な十三湖で泳いでいたそうです。泳ぐことがとにかく好きで、「泳ぎでは4年生の時からずっと1番だった」という堀川さん。小学校、中学校時代には友達から〝カッパ〟というあだ名を付けられたほど。
大人になってからも泳ぎは欠かさず、2時間で6000メートルを泳ぎ、マイクでプール内にそのことをコールされたこともあるそうです。今でも1日に1000メートル近く泳ぐこともあるのだとか…。80歳までは函館市民プールで、「堀川スイミングスクール」という教室も持っていて、多い時には90人の生徒に水泳を教えていました。
「よく〝継続は大事〟と言いますが、そんな風に考えて泳いだことは1度もありません。好きだから夢中でやってきました。プールにも自然に来てしまう」
スイミングスクールで教えていた時には、生徒達に〝競争するな〟と言っていたと言います。また、〝頑張れ〟という言葉も使いませんでした。
「競争すれば勝とうと思って我慢が生まれる。人と比べずに自分のペースで楽しむことが大切だと思ったからです」
90歳を迎えてますます元気。
「泳ぎをやっていて良かった。泳いでいるから健康。風邪はもう何十年もひいていません。50歳の時にインフルエンザにかかったのが最後です」
最近になってアクアビクスも始めたという堀川さん。いつまでもお元気で、はつらつと泳ぎを楽しんでいただきたいものです。

テニスがくれた前向きな気持ち

大石 千恵子さん

テニスを始めて14年になるという大石千恵子さん。
きっかけはスキーが上手になるための体力作りで始めたそうですが、テニスの魅力にはまってしまったといいます。しかもその頃リュウマチにかかり、スキーをすることを医師に止められてしまいました。
しかし、主治医は好きなテニスをすることはリュウマチの治療にもいいでしょうと奨めてくれて、通院しながらテニスを続けました。
もともと体を動かすのが好きだったこともあり、時々テニスを頑張り過ぎてドクターストップをかけられたりしながら、コーチの理解も得てテニスを続けています。
「テニスは生涯スポーツですね。ハードに見えるけれど、基礎をきちんとやっていると怪我もなく長く続けられます」という大石さん。「アクティブテニスアカデミー」のコーチの指導を受けながら、基礎コースに在籍し、都合をつけながら通院とテニスを両立させてきました。リュウマチ以外にも、ほかの病気で入院や手術を受けながらも、テニスを続けられたことを、周りの人に感謝しているといいます。体のこわばりなどリュウマチ特有の症状がひどくなっても、テニスをまたやろうという思いが自分を前向きにしてくれたといいます。それがこれまで健康でいられた秘訣でしょうと話します。
テニスで出会った友人達と打ち上げに参加したり、時には旅行に出かけたりするのも楽しみにしているそう。
〝形のきれいなフォアを打つのが一生の課題〟と決めています。そしてテニスの帰りの温泉が気持ちよくて、テニスをやってて良かったと思う瞬間なのだとか…。アクティブテニスアカデミーはTel:26-6111。

愛好者が増えるソフトバレーボール

森 トヨ子さん

「深堀母親クラブ」所属のソフトバレーボールクラブ「フレンズ」の代表をしている森トヨ子さんは、ソフトバレーボールをはじめ、ディスコダンス、毎日のウォーキングを欠かさないスポーツウーマン。
おかげで、体はいたって健康。スポーツを楽しみ、生活をエンジョイしています。森さんがソフトバレーボールを始めたのは、50代後半。その頃していた社交ダンスの仲間から柔らかいボールで行うバレーがあると誘われて始めたのだそう。
ソフトバレーボールが生まれて23年。年々愛好者が増え、児童から高齢者まで幅広い年齢層が楽しんでいます。ルールはバレーボールとほぼ同じで、当たっても痛くないボールを使用するので安全で、年齢を問わず楽しめるスポーツです。
練習は深堀児童館で毎週木曜日午前9時〜正午に行われ、ストレッチと基礎練習に1時間、あとはゲームを行います。競技大会は年に3〜4回あり、これに出場したり、練習で汗を流すだけでも楽しいという人もいるそうです。
児童館が使用できない時は、市民体育館を利用することもあり、森さんは代表として申し込みを行うなど、会をスムーズに運営するための役割も担っています。
また、メンバーは母親クラブの会員として、児童館の春の草取り、夏祭りの手伝い、秋の清掃などにも参加。そのほか、ハーフマラソンでの交通整理などボランティア活動も行っています。
「フレンズ」は毎年4月〜5月にメンバー募集を行っています。会費は「深堀母親クラブ」の年会費(保険料込)700円と「フレンズ」会費の年300円。「深堀クラブ」の問い合わせはTel:52-4411。

悔しさからスタート

坂本 明浩さん

坂本明浩さんがゴルフを始めたのは5年前、24歳の時。会社の先輩からゴルフクラブをもらったのがきっかけでした。もらった当日に打ちっぱなしへ、次の日にはコースへと連れて行かれたのだそう。
「はじめは簡単だと思っていました。止まっている球を打つだけだから力いっぱい打てば飛ぶだろうと…。でも実際やってみたら難しくて。力があってもダメなんですね。上手くいかなくて悔しい思いをしました」
もともと体を動かすことが好きでバスケットボールやスキー、野球なども楽しんでいた坂本さん。初めてのゴルフ以降も趣味のひとつとしてマイペースでゴルフを楽しんでいましたが、今年5月からはもっと上手くなりたいと、北斗市にあるゴルフ練習場「ゴルフガーデン アクシス」内のスクール「アクシス・ゴルフスクール」に入会。会社の先輩や後輩とともに、週に1〜2回は練習場へ通いインストラクターの指導を受けながら練習に励んでいます。
「仕事で疲れていても来ます。同年代の仲間もいるし、かなり汗もかけるし、楽しいですよ。今年は冬の間も頑張って通うつもりです」
インストラクターからも「上手くなりました。ボールをしっかり叩けるようになって、スコアも良くなっている」と言われ、練習の成果を実感しているという坂本さん。コースへも2週間に1回以上は行っているそう。
「コースではかなりの距離を歩くので健康にもいいですし、プレイの楽しさだけじゃなくアウトドアの気持ち良さも味わえます」
ゴルフは男女問わず何歳からでも始められる生涯スポーツ。「アクシス・ゴルフスクール」はTel:49-4445。

道南のスポーツ愛好家に学ぶ。健康生活は日々の習慣にできるのか? 青いぽすと Vol.477