バレンタインデーに贈る愛と優しさの物
2018-02-09 vol.630
バレンタインデーに贈る愛と優しさの物語特集
今年もまた、素敵なエピソードがたくさん寄せられました。ハガキという小さなスペースに綴られた物語はどれも、愛と優しさがたっぷりと詰まっていました。今年も世の中のみんなが助けあって、幸せを分かち合える1年であることを願って、今回の特集をお届けします。
今号は、昨年12月の本紙「クリスマスプレゼント特集」で、読者の皆様から応募ハガキに添えていただいたエピソードをまとめたものです。いただいたエピソードにつきましては編集の都合上、ニュアンスを変えない範囲で、文章に若干手を加えているものもあります。
忘れられない思い出
豆パンでハッピーバースディ
私が小学生で4才年上の姉が中学生の時、私の誕生日の日、姉が豆パンにチョコペンで、英語でハッピーバースディと書いてくれ、豆パンにローソクを立てて祝ってくれました。姉は亡くなりましたが忘れられない思い出です(当時、ケーキは買えなかったので…)。
(的場町、M・M)
焼き芋屋のお婆ちゃん
約40年以上前のクリスマス近い日のことです。函病がまだ元町にあった頃、私はその頃は准看護師で、日曜の休みにジョギングしていました。帰り途中、函病の坂をリヤカーを引いていた焼き芋屋のお婆ちゃんがいて、後ろからそっと押したのですが、フッと軽くなった手応えがあったんでしょうね。
後ろを振り向いて「ありがとう、寒いから良いよ。焼き芋焼きあがったらおいで」と声をかけてくれました。そしてお礼に焼き芋を頂いて食べました。ホッコホッコでとても美味しかった。函病の坂で何度か出会っていつもリヤカーを押していました。お年寄りの人が好きだったんです。
その後、私は別の病院に行ったのでもう会うことはありませんでしたが、人との関わりが好きで寮生活も楽しかったし、その後の職場でもスタッフの仲間と楽しく仕事をしてきました。
目指したのは、高齢者との関わりがあるデイケア介護病棟、グループホーム。ケアマネの資格もとって仕事ずくめでした。クリスマスプレゼントとはちょっと違いますが、その焼き芋屋のお婆ちゃんから頂いたあの焼き芋が忘れられません。
(時任町、Y・N)
だったら結婚する前に…
息子達が小さかった頃、夫とケンカして数週間も口をきかず、私は息子に「お母さんはお父さんもういらない。あなた達がいればいい。3人で暮らそう」と言いました。すると、8才だった次男が、「だったらお父さんと結婚する前に僕達を産めばよかったでしょう」と真剣に怒りました。
もう息子達は結婚して家を出て、私達夫婦は45年が過ぎました。今もケンカの度に、その言葉を思い出しています。
(ペンネーム、みよののこ)
満月
数十年前の9月に結婚し函館を離れた十五夜の日、父から「函館は今夜満月だ! ○○でも綺麗なお月さんが見えるか?」と電話。寡黙な父からの電話で涙があふれ涙が止まりませんでした。あの頃に戻りたいナ!
(北美原3丁目、I・I)
老いてなお…
こりゃいいおもちゃだわい
馬齢を重ね74才。これまで携帯も持たぬ男がスマホを手にしました。高校生の孫娘の強引な誘いでLINEまでも…。おかげで頭の働き? もよくなり指の運動にもなり、「こりゃいいおもちゃだわい」と爺は孫に感謝感謝…。良い年を迎えられそうです。
(七飯町大川、M・T)
雪だるま
近所の幼児公園で夜暗くなった頃、となりの商店のおばあちゃんが大きな雪だるまを作っていました。朝になったらお散歩に来る幼児達の喜んでいる顔が目に浮かびます。おばあちゃん寒い中、ありがとう。
(中島町、N・S)
困難を乗り越えて
友人に感謝
30年前に胃癌の手術を。初めての大病で不安でしたが、「病気に負けるな」「病気を吹っ飛ばせ」「不安がったり、緊張するとメスが入りにくい」「医者にまかせて…」等々の激励を受けて安心立命の思いで手術台へ。
結果は4分の3の切除となりましたが大成功。輸血することもなく退院後は順調そのもの。再発もなく元気に過ごしています。友人の励ましほど看病を勇気づけるものはありません。今なお友人に感謝です。
(ペンネーム、T・S)
息子に感謝
昨年、私は腰の手術をしてコルセットで約6カ月の間、あまりきついことができないということで、息子がその間家に来て、食事など色々と助けてくれ、本当にありがたい気持ちでいっぱいです。私は本当に幸福だと思いました。感謝の気持ちで、息子と食事にいけたらなぁと思います。
(大森町、M・K)
優しい風景
「大丈夫ですか〜」
五稜郭駅を函館駅方面に車で走行していました。見ると対向車線の横断歩道を高齢の男性が歩いていました。すると滑ったらしく転倒するのを目撃し、咄嗟に「大丈夫ですか〜」と高齢の男性に駆け寄ったのですが、横断歩道の白線で、助けに行った私も滑ってしまい、高齢の男性の上に乗ってしまいとても恥ずかしく、すぐに男性を立ち上がらせ、その場を立ち去りました。同乗していた娘は大爆笑していました。
(ペンネーム、さおりん)
幸せな気分になりました
車椅子の少年と父が楽しそうにスーパーでショッピング。ほっと、温かい空間に、幸福な気分になりました。
(船見町、N・D)
千円札
バスに乗っていた時のことです。1万円札しか持っていない高齢の女性がいました。あいにくお釣りが無かったようで、バスの運転手が困りながら「1万円札、細かくなる方はいらっしゃいませんか?」とアナウンスしました。そこへ年輩の男性が立ち上がり、「これを使ってください。お釣りはいりません」とその女性に千円札を渡しました。とてもステキな光景でした。
(亀田港町、I・M)
大雪の朝…
大雪の朝、出勤時にまだ歩道が狭い状態の時、中高生位の男子が、向こう側から歩いてきたお年寄りに道を譲ってずっと待っていた姿に心があたたかくなりました。
(北斗市東浜、R・T)
夫婦でいること
「そんなこと気にしなくていいから…」
仕事のスキルアップのため、半年間、兵庫で研修が必要な資格をとることになりました。かかる金額も大きいことから妻に相談したところ、「そんなこと気にしなくていいから…」と快諾してくれました。自分の仕事に対して理解を示してくれる妻に心から感謝しています。
(富岡町2丁目、K・T)
そんな日が来るのかなぁ
ツルツル路面で高齢の男女が手をつないでゆっくりゆっくり歩いている姿がほほえましく見えました。私たち夫婦もいずれそんな日が来るのかなぁと思ってしまいました。
(駒場町、H・H)
ありがとうございます
今年、生まれて初めて体調を悪くして入院してしまいました。その時、妻が役所、勤務先その他いろいろな所への手続きをやってくれたこと、何より毎日面会に来てくれたことをありがたく思っています。
現在は入院前とほぼ同じような生活をしているのも妻のおかげだと思っています。妻に日頃の感謝を込め、1年の労をねぎらいたいです。ありがとうございます。
(中道1丁目、T・K)
人生で1番速いダッシュ
旅行中、どしゃぶりの雨の中、妻の後ろを走っていたら、途中で座布団みたいなものが落ちていて、前方を見たら妻が何も履いていなかったので、妻のスカートだと気づき、その時は人生で1番速いダッシュをしたと思います。
(北美原1丁目、Y・M)
子供達に癒されて…
赤ちゃんが大好きな息子
ウチの息子、とにかく赤ちゃんが大好き。息子が2歳ぐらいの時によく、デパートにあるキッズルームで遊んでいると、知らない赤ちゃんに「いないいないばあ」をして遊んであげていました。赤ちゃんもゲラゲラ笑って、それを見ていた私たちも大笑い。いまでは8才になった息子ですが、今でも小さな子が好きで、優しい男の子に育ってくれています。
(松陰町、M・H)
よっぽど下ばかり見ていたのか…
私がまだ前の夫と別々の道を歩みはじめシングルマザーだった頃、娘を保育園にお迎えに行った帰りに娘が、「ママ、お星様を見て。とってもきれいだよ」と言ってくれました。私、よっぽど下ばかり見ていたのか、その星は本当に綺麗で、まだ年端もいかぬ娘に、オリオン座を教えたりしたのが思い出です。
(ペンネーム、Haru)
幸せなひと時
小5の次男が、母親を労おうとして(?)、自分なりに考えて言葉掛けをしてくれるようになりました。「お母さんって仕事も家事も頑張ってすごいねー」「おいしいご飯も作れてすごいね」「お父さんは何もしなくて(?)幸せだね」などなど。子どもなりに一生懸命考えてくれる気持ちが嬉しくて、ほのぼの心が温かくなる幸せなひと時です。
(桔梗4丁目、Y・H)
羨ましい…
バスに乗車していた時のことです。私は2人掛けの席に座っていました。途中、お母さんと幼稚園児くらいの女の子が乗車し、女の子が私の隣にやってきて、「こんにちは!」と愛嬌たっぷりに挨拶され、ご機嫌の様子で「どこへ行くの? どうして?」など、身振り手振りでたくさん話しかけてくれました。彼女の手元を見ると薬指におもちゃの指輪があり、「彼氏がくれた結婚指輪なの」と満面の笑! アラフォー独身の私にはとても羨ましい(笑)ほっこりしたエピソードでした。
(亀田町、M・N)
サンタさんからの手紙
子供が低学年の時、「お母さんにもサンタさん来たの?」って聞かれたので、「サンタさん忙しかったみたいで来たことないんだ」と答えました。次の日、私のひきだしの中に「おかあさんへ こどものとき ぷれぜんと わたしにいけなくてごめんね さんた」と書かれた手紙と手作りのしおりが入っていました。子供に「サンタさん来た?」って質問されたので「来てくれたよ! お母さんすっごくうれしかった!」と言うと嬉しそうに笑っていました。優しい子を持って幸せです。そのお手紙は今も大切にとってあります。
(中道2丁目、Y・S)
命について考える
約束を忘れないでくれたおばあちゃん
私は2歳から喘息。親元から離れ入退院を繰り返した。私を心配したおばあちゃんは、あなたの結婚する旦那さんはおばあちゃんが見つけてあげるからと、いつも約束。それなのに、おばあちゃんは天国へ。「私はおばあちゃんと約束したのに!」と思っていた矢先、知り合った人が今の旦那さん。初めて嫁いだ所で墓参り。そのお墓のそばに、私のおばあちゃんのお墓。びっくりしました。「おばあちゃんはお墓1件1件回って本当に探してくれたんだ」。約束を忘れないでいてくれたおばあちゃん、ありがとう。
(美原2丁目、E・K)
気持ちを整理したい
函太郎といえば、亡くなった夫が生前大好きで毎月1度、2人の結婚記念日に必ず行っていました。亡くなってから数年が経ち、さびしさからまだ1度も行くことができませんが、気持ちを整理したいと思います。
(ペンネーム、ひろっぴママ)
長生きしてくれてありがとう
11月に100歳のおばあちゃんが亡くなりました。可愛く見えるようにオレンジの着物を着せてあげて、棺桶はピンク。100歳まで頑張ってきたおばあちゃんは笑顔で、笑っているかのような美人なおばあちゃんのままでした。長生きしてくれてありがとう。孫の私は感謝していますよ。おばあちゃん、長生きしてくれてありがとうね。とてもきれいでしたよ。
(ペンネーム、佐藤バッチ)
ほのぼのしたひと時を…
今年、母が急死しました。悲しみ以上にいまだ信じられません。年末には残された家族が集まり、母を偲びながらほのぼのしたひとときを過ごせればと思っています。
(川原町、M・N)
どんな時もいつの時代も…
戦死した伯父が、戦地にあって母に「足はまだ痛みますか?」と気遣うハガキを送っていました。母を思う子の心情はとても感動的です。どんな時もいつの時代も、まごころ、思いやりの精神は生きているのだと思います。
(昭和1丁目、M・M)