2019年閉店函館ボーニ特別企画

2018-12-21 vol.651

函館棒二森屋一世紀半の感謝をこめてありがとう

明治2年、金森森屋洋物店の創業から150年の歴史を誇る『棒二森屋』が2019年1月31日に惜しまれつつ閉店します。そこで2018年最終号となる今号では、たくさんの函館市民の思い出が詰まった棒二森屋を総力特集します。長年「ボーニさん」の愛称で親しまれた素晴らしいデパートが、私達の記憶の中で永遠に輝き続けることを願って…。

函館棒二森屋一世紀半の感謝をこめてありがとう

閉店を惜しむ人達で賑わいを見せる棒二森屋

閉店セール

棒二森屋閉店セールが行われている売場

棒二森屋閉店セールが行われている売場

各フロアでは閉店セールが行われ、多くの来客で賑わっている。

思い出

棒二森屋のシンボル的存在のひとつの白熊

本館正面玄関には、棒二森屋のシンボル的存在のひとつの白熊のオブジェがあり、来店者を迎えている。

棒二森屋屋上の神社

本館屋上には神社があり、毎年初売りの際には一般客が参拝に訪れる。

棒二森屋レストラン「和家(かずや)」

昔は「大食堂」として親しまれてきたレストラン「和家(かずや)」は現在も豊富なメニューで人気を集めている。

棒二森屋和服の専門店

和服の専門店など、デパートならではの専門店は地元の人達から重宝されている。

棒二森屋150年の主な歴史

明治2年 金森森屋洋物店創業。
明治22年 棒二荻野呉服店創業。
昭和9年 函館大火で金森森屋が焼失。
昭和11年 金森森屋と棒二荻野呉服店が合併。
昭和12年 総建坪1500坪店舗完成。
昭和34年 函館市で初めてエスカレーター3基を新設。
昭和35年 屋上に高さ10mの観覧車を建設。
昭和38年 貿易自由化を記念した「イタリア展」が開催される。
昭和43年 道内初の「オーストラリア物産展」が開催される。
昭和56年 ダイエーとの業務提携の正式調印を行う。
昭和57年 新館アネックスがオープンする。
昭和58年 立体駐車場・ボーニパーキングがオープンする。
昭和61年 アネックス改装。デザイナーズ・キャラクターズブランド導入。
平成元年 函館市消費生活センターが本館7階に開設。
平成3年 「現代ソビエト絵画展」が開催される。
平成8年 本館7階に常設のアートサロンを開設する。
平成15年 アネックス4階に「無印良品」がオープンする。
平成17年 新会社・中合の1店舗として営業開始。
平成19年 駅前開業70周年を迎える記念事業を開催。
平成21年 本館地階、12年ぶりの全面改装。
平成25年 アネックス6階にキッズスタジアムをオープン。
平成27年 本館地階食品館を全面改装。
平成28年 アネックス1階・地階を改装、スイーツ売り場拡大。
平成28年 「ふらっとDaimon」がオープンする。
平成29年 駅前開業80年記念事業を開催する。

棒二森屋の150年の歴史を物語るフォトギャラリー

棒二森屋の店舗完成時の建物外観

棒二森屋の混雑する店舗入り口

棒二森屋の大食堂

棒二森屋のお土産売場

棒二森屋の賑わう売場

棒二森屋の混雑する店内

棒二森屋の混雑する店内

棒二森屋の入り口前に並ぶ人力車

ボーニさんありがとう…
地元の人達から聞いた、棒二森屋の素敵な思い出

棒二森屋の元社員さん

定休日前日で、帰省してる社員も多い日に北海道南西沖地震が。津波の惨状を知っても携帯電話もない時代でしたので祈るような夜を過ごしました。自分と同じ売場にいた松前、瀬棚から通うスタッフも幸い無事に出勤し、売り場の被害はほぼありませんでしたが、地下通路で液状化現象が起きたと記憶しています。
(播磨龍雄、57歳、男、スナックマスター)

高校を卒業してすぐに70人ほどの新入社員の1人として入社。30年ほど勤めた中でも印象深いのは初売りの日です。アパレル服の福袋販売の整理券を配ったのですが、当時では珍しかった前日夜中からの行列客がいて、催事場では身動きが取れないほど混み合い、開店からずっとお客様が途絶えず、お客様の顔もきちんと見られないほどでした。
(M・F、51歳、男、食品加工会社勤務)

入社時配属されたのが、エレベーターでお客様を各階にご案内する部署でした。当時制服はオーダーで、シーズンごとにデザインが変わるので次はどんな制服になるのかと楽しみでもありました。地域一番店として多くのお客様が来店され華やかな時代が懐かしいです。
(M・M、63歳、女、主婦)

1970年3月15日に108名の新入社員の一員として入社しました。入社当初は、包装紙の包装が出来ずに先輩女性社員から厳しくも愛情を持って指導され、家に帰って新聞紙で何度も練習したのが今でも思い出されます。
(八木良平、72歳、男、株式会社テーオーHD常勤監査役

函館駅前で仕事をしている皆さん

函館市民から「ボーニさん」と親しまれた棒二森屋の閉店、誠に残念です。改築後も商都大門に相応しい店であることを祈ります。
(小野孝良、85歳、男、大森稲荷神社神職)

ボーニさんの想い出は多い。屋上にあった乗り物コーナーも一つ。小銭を入れ、足元にあるボタンを踏むと動くものだ。楽しかった場所に息子たちと行ってみた。時が進んだ空間と、そこから見る函館を目に焼き付けてきた。
(井ヶ田嗣治、50歳、男、丸山園茶舗代表取締役社長)

ワコーさん、さいかさんに続いて大門の中心のボーニさんが閉店するのはさびしい限りです。
(三上総一、79歳、男、三上参省堂薬局代表取締役)

子どもたちと一緒に、ボーニさんの食堂に行った思い出があります。当時は子どもたちの外食といえばデパートの食堂で、ご馳走でした。地方の学生が修学旅行で団体で来ていた風景なども、懐かしく思います。
(十亀直幸、61歳、男、わがやの灯り料理長)

棒二森屋好きの皆さん

子供の頃、レストランでの食事が楽しみで贅沢な気分でした。20代はDCブランドが流行りで服を買いに行き、結婚してからは物産展に足を運びました。年齢毎に思い出のある棒二デパートがなくなることを寂しく思います。
(ミヤ、52歳、男、会社員)

ボーニといえば、真っ先に思い出すのが「B・O・N・I ボーニ♪」のフレーズ。今、毎日口ずさんでます(笑)。
(朝野久美子、42歳、女、介護支援専門員)

ただウロウロしたり、デートしたり、彼女へのプレゼントも買いに行ったなぁ〜。ボーニには、青春がつまってる。
(熱燗、49歳、男、会社員)

高校生の時に生まれて初めてボーニの食堂でドリアを食べて「世の中にこんな美味しい食べ物があるのか!」と、感動した。
(ひでボー、57歳、女、主任ケアマネジャー)

街歩きガイドで、本館屋上にある「互福稲荷神社」に、何度もおじゃましたことが思い出として残っております。また、お正月にも参拝に出かけ、その時いただいたお菓子の美味しさは忘れられません。
(土田尚史、43歳、函館まちあるきガイド)

子どもの頃、婦人服売り場で迷子になりました。最近では体調不良で救護室のベッドで休ませてもらったりと、棒二の店員さんにはお世話になりっぱなしです。閉店まで通いつめますね。お気に入りはもちろんドンクです。
(茎沢直子、48歳、函館市地域交流まちづくりセンター常勤スタッフ)

高3の夏休みにアルバイトしましたが、当時のデパートはマナーに厳しく、私語は当然厳禁。毎日直立不動で売り場に立つのがとても大変でした。でも、その経験が生きたのか、翌年春にほかのデパートに合格できました。
(大坂明美、74歳、バラエティショップあさひや)

昔、ボーニの正面玄関には、映画の女優さんや俳優さんが歩くような赤い絨毯が敷かれていました。とても丁寧に来店客を迎え入れてくれ、特別な気分を味わえる場所でした。
(大森くみ、75歳、女、主婦)

私が小・中学生だった頃のボーニさんは、道南や東北から大勢の修学旅行生が訪れる観光名所のような場所でした。学生帽を被った修学旅行生でひしめき合う館内はとても賑やか。道南を代表する百貨店だったんですね。
(千歳りつ子、73歳、女、主婦)

子供の頃の遊び場と言えば、ボーニの屋上だった。観覧車や電車の乗り物があり、たくさんの子供達でいつも満杯に混んでいた。日光浴もできる屋上の遊び場は最高だったのに…。今は無くなってしまって残念だ。
(亀沢操、77歳、男、無職)

今の西高がある場所にあった北海道庁立函館高等女学校に入学した時、呉服屋さんだった頃からお付き合いのあった棒二森屋さんから絹の黒い長靴下をお祝いに頂きました。懐かしい思い出です。
(佐藤修子、90歳、女、主婦)

棒二森屋の社名が見える外壁