甲斐バンドの「安奈」の歌詞は函館で作られた
70〜80年代を中心に、我が国の音楽シーンで大活躍してきた日本のロックバンド『甲斐バンド』。数々の名曲の中でも特にヒットした「安奈」の1番の歌詞は、甲斐よしひろさんが函館を訪れた際に函館のバーで思いつき、それをコースターの裏に書き留めたことで誕生したという。つまり、歌詞に出てくる「北へ向かう夜汽車」とは、函館に向かっていた夜行列車だと推測される。それにしてもあの名曲の歌詞をすぐにひらめいてコースターに書くのだから、やはり甲斐よしひろさんはすごい人なのだと、この逸話から感じる。
ちなみに甲斐さんは歌詞を書き留めた翌年にも同じ函館のバーを訪れたという。ぜひこの機会に、函館で歌詞が誕生した名曲「安奈」を聴いてみてほしい。
函館に松本人志さんのそっくりさんがいる
函館出身の松本一人さん(芸名)は、上京時代を経て30年ぶりに帰郷した際、昔に比べて函館に活気がなくなっていることを感じ、故郷を活気づけたいと、タレントの松本人志さんのそっくりタレントとして函館をはじめ全国のイベントなどで活躍している。東京の『株式会社BBE』所属。道内ではイベント出演や司会業、町の観光大使などの活躍をみせているほか、全国ネットのテレビ番組にも出演。
また、地元のために貢献したいという思いからボランティア活動も積極的に行っており、「人のために何かすることが楽しいです」と話している。
出演依頼などは株式会社BBE北海道支社長・土橋(☎︎080-6089-8590)まで。
サイコロキャラメルは函館で作られている
1927年から89年もの間親しまれてきた「明治サイコロキャラメル」。遊べる駄菓子の元祖として知られるこのキャラメルは、明治のグループ会社『道南食品株式会社』で生産され、全国に販売されてきました。
一般的に寿命が短いといわれるお菓子の中で、明治サイコロキャラメルは異例のロングセラー商品。しかし、様々な菓子が発売される中、その人気は低迷。それでも同社は生産を続け、全国にあの甘く懐かしい味を届けてきました。
2016年からはサイコロキャラメルのブランドを同社が引き継ぎ、「北海道サイコロキャラメル」として北海道限定で販売。北海道ブランドとして新たな歴史を刻んでいます。
●千代台町14-32
Tel:51-7187
ラッキーピエロの店名には王会長の少年時代の思い出が詰まっている
いまや全国的な人気を誇る『ラッキーピエロ』。この店名は王一郎会長の少年時代の思い出が由来だった。神戸市に住んでいた小学生時代、自宅からほど近い神社の境内に毎年サーカス団が来ていたそうで、当時の王少年は毎年サーカスを観に行っていたという。その頃に観たサーカスのワクワク感こそが、これからオープンするハンバーガー店が目指すものだと考え、ピエロの名を付けた。ただ、ピエロにはちょっと悲しいイメージもあるため、少年時代に飼っていた犬の名前の「ラッキー」も加えて店名にしたという。
1年ほど前、王会長は諸用で久しぶりに神戸を訪れ、サーカスを観た神社にも足を運び、楽しかった少年時代の思い出にしばし浸ったという。
柏稜高校の校歌を作ったのは神津善行さんと中村メイコさん
昭和32年に函館有斗高等学校女子商業部として創立した『函館大学付属柏稜高等学校』は平成9年に男女共学校となり、現在の校名に改称。それに伴い、これまでの校歌から共学校に相応しい校歌を作ることとなり、当時の学校長が音楽関係者から紹介を受けたのが、美空ひばりさんの曲からサザエさんまで幅広いジャンルの作品を手がけた作曲家の神津善行さんと女優や歌手、作詞など多方面で活躍する中村メイコさん夫妻。制作にあたり2人は函館観光や同校付近を散策したそうで、街の情景や学園訓が盛り込まれた歌詞と、校歌としては珍しい3拍子の優美な曲調の校歌が誕生しました。
現在の漁火通は開通当初は有料道路だった
現在の漁火通は日本初の有料道路だったと言われています。
湯川町の歴史に詳しい「スクール カドワキ」の代表取締役会長・門脇義治さんによると、漁火通は松岡陸三という人が作った有料道路で、さらにこの道路を利用して、現在の熱帯植物園の辺りで松岡さんが掘り当てた5本の温泉の湯を現在の「とんかつ かつきち宇賀浦店」辺りまで引いて浴場を作ったのだそう。
「1918年10月10日、海岸道路に松岡氏が砂利を敷いて専用自動車道路を作り、日本最初の有料道路とする(旭自動車株式会社)。片道1人25銭、1台1円50銭」(門脇義治著『年表 湯の川の歴史』より)。
函館大谷学園の正門横に心に響く言葉が飾られている
鍛治1丁目にある『函館大谷学園』の正門横には、30年以上前から美しい毛筆で綴られた言葉が飾られており、道行く人が足を止め眺める姿も見られます。
月に1~2回ほど書き変えられるその言葉は、函館大谷高等学校の書道科非常勤講師でありプロの書道家でもある上山勝則先生が、同学園の建学の精神である親鸞聖人の教えにもとづいて書籍などから言葉を選び、筆をしたためています。
時にその意味を考える言葉もありますが、「どのような意味を持つのか考えることをきっかけに、かけがえのない自分自身と向き合って欲しいと願っています」と、同高等学校教頭・木戸口靖之先生。
付近を通ることがある際にはぜひ1度、この書に心を向けてみてはいかがでしょう…。
ひのき屋のワタナベさんは街で声を掛けられやすい?
1998年の結成以来、函館を拠点に全国各地と海外で演奏活動を行うバンド『ひのき屋』。
ギターとボーカルを担当するワタナベヒロシさんは、学童保育の指導員を務めたり、市内某中学校のPTA副会長を務めたりとマジメそのものなのに、なぜかよく警察官から職務質問を受けてしまうという運の持ち主。いつもは年1回ほどなのに、今年は上半期だけで4回。でも、少しもイラッとせずに毎回協力的に応じるので、いつもお巡りさんに感謝されるのだとか。「参考までに、声を掛けた理由だけは毎回尋ねています」とワタナベさん。最近は、「動きが大きい」と言われたのだとか。参考になりますね(?)。
「きびだんご」は北海道のお菓子だった
子供の頃から慣れ親しんだ「きびだんご」。実は岡山名物の「吉備団子」とは違う、北海道生まれのお菓子だということをご存じでしたか?
発売されたのは大正時代。北海道開拓にあたった屯田兵の携帯食をもとにして作られ、開拓時の助け合いの精神と、その年に起きた関東大震災復興への願いを込めて、事が起きる前に備え、団結して助け合うという意味で「起備団合」と名付けられました。常温で携帯できて腹持ちも良いことから、登山者やアスリートにも人気があります。保存食としてもお勧め。
『天狗堂宝船』(七飯町中島205-1)では、道内に今や2社しかないきびだんごの製造元として、昔ながらの味を守り通しています。
スズランの魅力を伝えたのは遺愛の宣教師
全国的に北海道の花というイメージがあるスズラン。可愛らしく香りも良いことから欧米では評価が高かったものの、国内ではあまり知られていなかったこの花を、広く世に伝えたのは『遺愛女学校』の宣教師たちだったといわれています。
同校には1882年の創立の頃からスズラン狩遠足の行事があり、スズランの花を絵入りで紹介した最初のものと言われる書籍(川上滝弥、森広共著「はな」、1902年発刊)のスズランの項にも、「聞説(きくならく)函館の遺愛女学校にて百合採りとて初夏の一日を遊び興ずる行楽を…」などと記されています。
そんなスズランの花は校章に図案化され、今でも遺愛のシンボルとなっています。